松本人志報道に見られる「先走る世論」 多数派によって物事が決まってしまう危険性【仲正昌樹】
松本人志氏の場合、現に仕事ができない状態が続いている。しかも、窃盗とか暴行のようなやったかやらないか事実関係が比較的はっきりしている事案と違って、“性被害”や“ハラスメント”の場合、グレーゾーンが残りがちである。たとえ裁判で勝ったとしても、それは文春の報道が、問題になっているケースで不当に事実を捻じ曲げていた、と認められただけであり、当たらずとも遠からずのことをやっていたのではないか、との印象は残ってしまう可能性が高い。現に三月末からマスコミやネットは、既にその方向に軌道修正し始めているようにも見える。
「キャンセル・カルチャー」の問題は、一度「キャンセル」されてしまった人は、たとえ“冤罪”か“嫌疑不十分”と判明しても、元の立場に復帰できなくなる可能性がある、ということだ。やりかけていた仕事が中断されたり、まとまりかけていた企画が流れたりして、本人以外にも大きな経済的損失が生じる恐れがある。
今更、言うまでもないが、世論の多数派によって物事が決まってしまうのは危険である。
① 何が真実かをめぐるきちんとした議論がないまま、事実上その時の雰囲気で“真偽”が決まる
② 大勢が真実だと言っているので、自分もそう思っていいと考えてしまう
③ 自分たちが勝っていると思う多数派が少数派に圧力をかけて黙らせてしまう
④ 世論の帰結で特定の人を処罰したり、取り返しのつかない判断ミスがあったりしても、誰も責任を取らない。
②と④は、保守主義の元祖とされるバーク(一七二九-九七)が『フランス革命の省察』(一七九〇)で、フランス革命が失敗するであろう原因として挙げた問題で、③は、トクヴィル(一八〇五-五九)やミル(一八〇六-七三)が「多数派の専制」と呼んだ問題である。
こうした世論の暴走が起こらないよう、具体的な法律を作る時は議会、それを実行する時は内閣、法律で具体的な個人を罰する時は司法が専門機関として担当し、いろんな要因を考え、バランスの取れた答えが出るように調整しているのである。役人、議員、裁判官の不祥事が続いているからといって、マスコミの世論調査やネットの動向に従って物事を決めようとすると、多数派の専制と無責任が横行することになるだろう。