「好きだから」という気持ちを免罪符にして、相手の人生に土足で踏み込んでくる人たち【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第45回
【ある日、自宅の郵便受けに届いたもの】
ある日、普段通りに自宅の郵便受けから届いたものを取り出すと、他のものとは様子が異なる一通の封筒が入っていた。ぐちゃぐちゃになった封筒には、何らかの液体だったものが乾いた跡と読み取れないくらい汚い文字で何かが書かれていた。念のため封を切って、中身を確認しても何も入っておらず、それがより不気味さを際立たせていた。そもそも自宅の住所が特定できるような情報を公開していないし、そのとき住んでいた家を知っているのはごく限られた人だけであった。誰かに首の根を掴まれている、そんな感覚が私を襲った。
今ならばもう少し思考が働いたのかもしれないが、そのときは何か刺激することによって新たな被害を受ける方が恐怖で、何らかの行動を起こすことなく、すぐに廃棄した。あの頃は「そんなことをしている自分」を責め立てるだけで、誰かに頼るなんてこともできなかった。
「どうやったら会ってくれますか」「付き合ってください」といったメッセージが送られてくる度に、エスカレートしていく要求を突きつけられる度に、この人たちは私の何が見えているのだろうと不思議に思ってしまう。私の裸体を見たことで、私の性行為を見たことで秘密や特別感を共有した気になっているのだろうか。確かに、それらは近しい間柄の人間にしか見せないものではあるが、私の場合はそんな特別な意味を一つも持ち合わせていない。(ある意味、視聴者にそう思わせることができたのは仕事としては成功しているのかもしれないが。)仕事以外のそれ以上でも、それ以下でもないし、私の瞳が捉えていたのは画面の向こうの〈大勢〉であって、特定の誰かではない。
裸体や性行為の一つ一つに意味があるとするならば、相手との関係が成立して初めて生まれるものだろう。そして愛情、欲の発散、仕事とその意味も一つとは限らない。はっきりと言えることがあるならば、画面の中の私と、画面の外の現実が結びつくことは決してあり得ないし、そこに何か特別な意味が生まれることもない。それだけである。