人はみんな違っていて当たり前【森博嗣】 新連載「日常のフローチャート」第17回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第17回
【多数派は、自分たちが当たり前だと思い込む】
友達が大勢いる方が良いと感じる人と、そうでもない人がいるはずだ。僕は、友達が大勢いたら面倒な、と感じる人間である。友達はべつにいなくても良い。友達が多い方が良いという人は、家族も多い方が良い、両親も多い方が良い、親戚も多い方が良い、と考えるのだろうか。同じ村に住む人も多い方が良い、人口は多い方が良い、などとも考えるのだろうか。
その是非はともかくとして、友達が多い方が良いと思う人は、友達はそんなに多くなくても良いと思う人よりも、割合として多い、つまり多数派かもしれない。しかし、友達なんて欲しくない人だっている、少数派だけれどいる、ということは事実である。そして、大事な点は、多数派だから正しい、という理屈が間違っているということである。これは、つい最近まで社会的に確立されていなかった考え方である。
古来、多数派は正常であり、少数派は異常である、と見なされてきた。少数派は常に迫害され、「反社会的」とみなされた。だから、そういう人たちは生きていくために、自分の思いを隠し、我慢を強いられた。
だが、そういった社会が間違いだった、と大勢が認識するようになった。少数派であ
ということは、友達を大勢作りなさい、と子供に教えることは、理屈からいえば間違っていることにならないだろうか? 友達がいない奴なんて寂しい人間だ、と軽蔑する目で見ることも、間違っている。ここをもう一度、確認しておきたい。
また、多数派の人は、みんなが自分と同じように感じる、と決めつける傾向が強い。自分の子供も、自分と同じような人間だ、と思い込んでいる。自分と同じように感じることが嬉しい、同じように育ってほしい、と考えがちだ。もし自分と違っていたら、腹が立ってしまうだろう。自分と異なる考え方、感じ方をする人たちを尊重しなければならない、と理屈ではわかっていても、つい感情的に苛立ってしまうかもしれない。
自分の子供たちが大人になったとき、恋愛をしたり、結婚したりするのは、当然異性だと思い込んでいる。また、早く孫の顔が見たい、と口にしてしまう。そういう自身の感情がごく自然のもので、悪いなんて考えもしない。それが今の社会では非常識であり、もっと酷い場合には犯罪にもなりかねない、と考えたことがあるだろうか?
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〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。