人はみんな違っていて当たり前【森博嗣】 新連載「日常のフローチャート」第17回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第17回
【自分と違う人を尊重するのが優しさ】
さて、少数派として半世紀以上生きてきたおかげで、僕は社会の非常識の変遷をつぶさに見てきたし、幸いにも、平均的ではない人たちに偏見を持つことがなかった。そういう人たちを最初に知ったときは、少し驚いたけれど、「ああ、そういう人もいるんだな」と認識を更新するだけですんだ。ずっと昔から、少数派の人たちはいたのである。
たとえば、左利きの人は、右利きの人に比べて少数派だ。特に日本では少ないといわれている。僕が子供のときには、箸は右手で持てと強制された。習字の筆使いは右利きに適していて、漢字の形や書き順だって右利きに準じて決まっている。切符を渡す改札は右側にあるし、販売機のコイン投入口も右側にある。ハサミもナイフも右利き専用。学校で使える野球のグラブも右利きのものだけだった。左利きの子供が、右利きに矯正しようとして、生理的なストレスから病気になったり、障害が出る人もいた。
最も問題だと思われることは、右利きの人たちが、これらの便利さに気づいていない点である。それが当たり前だと認識し、不便に感じる人がいることを実感できない。それが悪いという話をしているのではない。そういう固定観念が生まれてしまい、右利きの人たちが気づけないことを不運だ、と僕は今書いている。
左利きは、人間にいろいろなタイプがいると子供の頃から感じることができ、人と違った生き方がある、少数であっても主張しないといけない、と考えるようになるだろう。
絵を描く人は左利きが多い。アーティストにも多い。右脳と左脳の役割などで説明されることが多いけれど、人と違うことを主張しようとする動機、つまり後天的な環境が関係している可能性もあるはず。
利き手の話は、わかりやすい一例でしかない。そこから類推して、少数派を認めること、自分と違っている人たち、意見が違う人を尊重すること、自分の価値観を他者に押しつけないこと、をいつも意識して、多数派の人ほど注意してもらえれば、と思う。
「優しさ」というのは、矛盾や不満を許容することである。優しさをもって対応するうちに、矛盾や不満は消えていくだろう。
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森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。
〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。