「あの子は馬鹿だから」〈誰かに助けられなければいけない存在〉として見られる不快感について【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第47回
【「どうやって助けて欲しかった?」】
こういう場合、人間は自分の理解を超えるようなことや遭遇したことがないような出来事を目の前にしたとき、それが発生した理由を探し始める。そこで筋の通った何かが見つからないと、相手のどこかに欠損があるかのような疑いを持ち始め、勝手に点を線で繋ぎ始め、最終的にはそれが真実であると思い込み始める。そこに至る背景や感情を深く知ろうともしなければ、本質的に介入するような行為をするわけでもなく、何の攻撃も当たらないような場所から「ああでもない」「こうでもない」と、まるでワイドショーを見ながらケチをつけるかのごとく、自己満足のために物を語るのだ。この人もこんな風に物事を見るのだな、なんて考えながら聞いていると、思いもよらない言葉が私のところに飛んできた。
「あのときさ、どうやって助けて欲しかった?」
突然、柔らかい部分に立ち入られた。急に心臓の脈打つ音が頭の中に響き、このままでは何か大事なものが粉々になってしまうと、いち早く相手に対して身体が拒絶を示していく。私は〈誰かに助けられなければいけない存在〉に見えていたのだと思い知らされ、そしてこうやって誰かの自己満足のために利用されるのかと絶望し、このときに負う痛みにはまだ慣れない。心配から出た言葉、と思う人もいるかもしれないが、そのときの声色や雰囲気で何を意図して話しているかぐらいはおおよそ見当がつく。
――どうやって助けて欲しかった?
助けるって何なのだろうか。何も知ろうとしないのに「こういうものだ」「こういう風に考えている」と勝手に決めつけて、「あなたに対して自分は手を尽くした」という証拠が欲しいために他者の存在を利用しないで欲しい。そんな静かな願いは思ったよりもこの世界では届きにくい。私の過ごした時間や歩んできた人生をこうであると決めて良いのも、結論を出して良いのも、この世界でたった1人、私だけである。
数日が経過した。こういうときにどうして瞬発的に言葉を返せなくなるのだろうとぼんやり考えながら、ざらついた感情を原稿に吐き出している。いまだに心に堆積した不快感は拭い切れていないが、言葉にしていくうちにじきに解消されるだろう。こんなとき、私には言葉があって良かったと感謝してしまうのだ。
(第48回へつづく)
文:神野藍
※毎週金曜日、午前8時に配信予定
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