斎藤氏の稲葉山城を上手に取りこんだ信長
城下は楽市楽座で賑わった・岐阜城 第6回
織田信長は稲葉山城と主だった建物だけではなく、斎藤段階から大きな発展をしていた井口城下もそのままの形で取り込んだと考えられている。
金華山(きんかざん)の麓、長良川(ながらがわ)に突き出すように広がる台地の上に、斎藤氏が城主だった段階の家臣団屋敷や町屋部は広がっていた。信長が町屋部の焼き討ちを行ったことは『信長公記(注・しんちょうこうき)』に見えるので、再建に取り組んだことは間違いがないと考えられるが、大規模なものではなく、小牧山城下のような新しい町作りには取り組んでいない。
自らも麓に大きな屋敷を構え、家臣団屋敷、さらに町屋部を配置し、大外を堀と土塁で囲うという惣構えを形成したといわれている。そして、かつての斎藤段階のにぎわいを取り戻すため、信長はここで町の発展のため「楽市楽座(らくいちらくざ)」を開設した。
これらの城造りと町作りの試作が、信長にとって次の安土山の築城と山下町(さんげちょう)経営の基礎となったことは言うまでもないであろう。(続く)
(注)信長公記/信長旧臣の太田牛一が記した信長の一代記で一級史料。永禄11年(1568)の上洛から天正10年(1582)の本能寺の変までの15年を1年1巻とし、全16巻(16冊)にまとめている。原本は江戸時代初期に成立。
●岐阜城データ
城の種類/山城
所在地/岐阜県岐阜市天主閣18
築城年/建仁元年(1202)
施設/御殿、本丸、櫓、土塁、堀
文/木戸雅寿(きど・まさあき)
1958年神戸市生まれ。奈良大学文学部史学科考古学専攻卒業。広島県草戸千軒町遺跡調査研究所、滋賀県安土城郭調査研究所を経て、現在滋賀県教育委員会文化財保護課。専門は日本考古学。主な著書に『よみがえる安土城』(吉川弘文館)、『天下布武の城 安土城』(新泉社)等。