会社は一体誰のものか!?ーー 渋沢栄一vs岩崎弥太郎の対立
【連載】「あの名言の裏側」 第4回 渋沢栄一編(3/4) お金の稼ぎ方、使い方には人柄が表れる
そんな2人の対立関係を象徴する出来事があります。それまでも海運事業でしのぎを削り合ってきた2人でしたが、明治13年(1880年)、東京は向島の料亭で岩崎氏が酒席を設けて渋沢氏を招待し、語り合う機会が持たれました。
そこで岩崎氏は「私たちが組めば、日本の実業界でできないことはない」などと語りかけ、共同での事業展開を渋沢氏に提案します。しかし渋沢氏は、先ほど紹介した社規にもあるような岩崎氏の考え方を受け入れることができず、次第に議論は白熱。ついに渋沢氏は席を立ってしまい、両者の対立は決定的なものとなってしまいました。
この対立構図はそのままビジネスにも持ち込まれることになります。岩崎氏率いる郵便汽船三菱会社と、渋沢氏をはじめ三菱の専横を認めることができない井上馨(政治家・実業家。後に外務大臣や大蔵大臣など閣僚を歴任)、益田孝(実業家。三井物産の設立に尽力するなど三井財閥を支える)、浅野総一郎(実業家。浅野財閥を創始)といったアンチ三菱財閥の有力者が参画した共同運輸会社による、壮絶な海運業対決が勃発するのです。
両社は採算度外視の値下げ競争をくり返し、かさむ燃料費を顧みずに輸送船の速度で競い合い、ついには2社の船舶が接触事故を起こすまでに露骨な戦いを繰り広げました。
そして、どちらも疲弊していくだけの虚しい消耗戦が続き、このままでは共倒れか? ……という様相を呈しはじめたころ、三菱財閥の首領である岩崎弥太郎が50歳の若さで亡くなってしまいます。明治18年(1885年)、政府はこの機を逃すことなく仲介に乗り出し、両社を合併させて日本郵船株式会社が設立されることになるのです。
渋沢氏は自著の中で次のように語っています。
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いかに自分が苦労して築いた富だ、といったところで、その富が自分一人のものだと思うのは、大きな間違いなのだ。要するに、人はただ一人では何もできない存在だ。国家社会の助けがあって、初めて自分でも利益が上げられ、安全に生きていくことができる。もし国家社会がなかったなら、誰も満足にこの世の中で生きていくことなど不可能だろう。
(中略)
「高い道徳を持った人間は、自分が立ちたいと思ったら、まず他人を立たせてやり、自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得させてやる」
という『論語』の言葉のように、自分を愛する気持ちが強いなら、その分、社会もまた同じくらい愛していかなければならない。世の富豪は、まずこのような観点に注目すべきなのだ。
(渋沢栄一/守屋淳・訳『論語と算盤』より)
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これは、岩崎氏との価値観の違いやビジネス上の確執について語っているのではなく、慈善活動といった社会事業の大切さや、弱者保護には政財界がともに取り組まなければならない、といったことを説くくだりで登場する一節です。しかし、渋沢氏の根幹を成す信念や矜持をうかがい知ることができる箴言として読み取ることもできるように感じます。そして、このような思いを抱いている渋沢氏だからこそ、岩崎氏とは相容れなかったのかもしれないな……などと下種の勘繰りをしてしまいたくもなります。
また、このような渋沢氏の指摘も見逃せません。
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お金は社会の力をあらわすための大切な道具でもある。お金を大切にするのはもちろん正しいことだが、必要な場合にうまく使っていくのも、それに劣らずよいことなのだ。よく集めて、よく使い、社会を活発にして、経済活動の成長をうながすことを、心ある人はぜひとも心がけてほしい。お金の本質を本当に知っている人なら、よく集める一方で、よく使っていくべきなのだ。よく使うとは、正しく支出することであって、よい事柄に使っていくことを意味する。
(中略)
お金とは大切にすべきものであり、同時に軽蔑すべきものでもある。ではどうすれば大切にすべきものとなるのか。それを決めるのはすべて所有者の人格によるのである。
(渋沢栄一/守屋淳・訳『論語と算盤』より)
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お金の稼ぎ方、使い方には人柄が表れるもの。「大切にすべきものであり、軽蔑すべきものでもある」というお金の本質を理解し、よく考えてお金と付き合っていく姿勢は、どんな人生を歩むにせよ欠かすことのできない要件といえるのではないでしょうか。
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