「君はアントニオ猪木なんだから」大ブーイングを浴びてきた棚橋弘至を支えたスタッフの一言【篁五郎】
◾️ブーイングを浴びることで気づいた「棚橋=猪木」
2006年に棚橋は新日本プロレスの最高峰であるIWGPヘビー級のベルトを手に入れた。3度目の正直でようやく手にしたベルトを腰に巻き、観客に向かって「愛してます」と涙ながらに叫んだ。しかしファンは、新チャンピオンを受け入れなかった。
当時の新日本プロレスファンは、チャンピオンに圧倒的な強さを求めていた。しかし棚橋は、強さと言うよりも上手さで勝ってきたレスラーである。強さという点では物足りなかったのだ。しかも見た目のチャラさもあったせいか容赦ないブーイングを浴びたのである。
「自分がチャンピオンになって新日本プロレスを盛り上げていくんだという矢先でしたね。最初は、僕がチャンピオンとして物足りないというブーイングだったんです。でも、段々僕の方からブーイングを煽っていったんですよ」
驚きの発言である。チャンピオンはファンから歓声を浴びてリングに立つのが当たり前なのに、ブーイングを煽るというのは前代未聞と言っていい。
「当時はよりチャラくなって、ナルシストになって、自我を開放していったんです。僕にブーイングが来るということは、対戦相手には声援がいくわけですよね。
プロレスは相対的なものです。僕の場合だと、ヒールとベビーフェイスの位置が逆転していますけど、結果的に会場は盛り上がっている。それがプロレスの仕組みです。だから敢えて僕がヒールの役割を買って出て、自分からもらいにいくようにしてました。
でも最初の頃はブーイングをなかなか受け入れられなくて、長年プロレスを見ている音響のスタッフさんに『どうしたらブーイングを浴びなくてすみますか?』と相談したことがあるんです。そうしたらその人が『タナ(棚橋)くんはそれでいいよ。君はアントニオ猪木なんだから』と言ってくれたんです。
どういう意味かなと思ったんですけど『好きも嫌いもあって本物だから』ということだったんです。その一言に救われてイヤじゃなくなりました。あの時のブーイングは僕を成長させてくれたんです」
子どもの頃は自分に自信がなかった棚橋が、自らブーイングを煽るほどにまで成長したのである。いつから自信を持てるようになったのか。
「実は子どもの頃から自分より運動神経のいい子とか、頭のいい子に自然と目が向いていたんです。生まれながらの上昇思考で、自分より良いものを目標にして頑張ってくタイプだったんじゃないかと、自分で分析しています」
自分より上を見ていたから自信が持てなかった。でも諦めずに頑張ったことでそのラインに近づき、「100年に一人の逸材」と自称できるほどに。自信とは一朝一夕で身につくものではない。時間をかけて努力を積み重ねてきたからこそだろう。