伊藤万理華・ドラマ『パーセント』は障がい者を起用した、お涙ちょうだい物語ではない。日本の作品が踏み込まなかった、新しい道の開拓だ【小林久乃】
◾️なぜ障がい者はかわいそうなのか?
物語が進むにつれて面白くなっていくのは、健常者、障がい者というラインがだんだんぼかされていくということ。出演者全員が自然に調和している。皆、同じように少しずつ苛立ち、悩んで、そして目の前のことに向き合う。
「車イスっていう分かりやすい障がいなのも、絵的にいいかなって。ドラマなんだし」
当初は未来にもこんな思いがあった。車椅子だから特別、かわいそう。そんな思いも、ハルの一撃によって次々に壊されていく。
未来の恋人で、脚本を手伝うことになった町田龍太郎(岡山天音)も自分の書いた原稿が真っ赤にされてしまう。他にも、熱意を持ってテレビマンになったはずの未来の同僚は
「テレビでやりたいことやってる人なんか、ほとんどどいないんスから。笑えるとか、泣けるとか、視聴者が見たいって思う番組作るのがテレビでしょ」
と、熱量を捨てて諦めていた。そして撮影現場ではハルが「障がい者の子が頑張ってるやんけ!」と特別扱いされることに憤りを覚え、悩んでいた。
皆が少しずつコンプレックスや、フラストレーションを抱えて物語が回っていた。際立っていたのは障がい者を商売道具にした、おっさんたちだった。これが今の日本のエンタメが抱えている課題。NHKはその事実にど正面から斬り込んできた。