プロレスラー鈴木秀樹「やればいいじゃん」 無気力だった少年から“マット界一面倒くさいレスラー”になった男からの檄文【篁五郎】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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プロレスラー鈴木秀樹「やればいいじゃん」 無気力だった少年から“マット界一面倒くさいレスラー”になった男からの檄文【篁五郎】

写真:鈴木秀樹選手提供

 

◾️フリーランスレスラーとして生き抜くために考えていること

 

 2008年にプロレスラーとしてデビューした鈴木は、デビュー当初から団体に所属をしていないフリーランスのレスラーで、日本のプロレス界では珍しい存在だ。日本のプロレスラーは、厳しいテストをクリアして団体へ入門をし、何ヶ月もテスト生としてハードな練習を経てデビューする。メジャーと呼ばれる新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアはもちろん、インディと呼ばれる団体も変わらない。

 しかし鈴木は入門テストも受けていないし、団体にも所属した経験がない。メキシコやアメリカでデビューしたレスラーならまだしも、日本でレスラーになった鈴木の経歴は唯一無二と言っていい。ずっとフリーランスだった鈴木が生き残っていくためにどんなことを考えているのか聞いてみた。

 「これは今でも変わらないんですけど、自分がやれることをまず見つめ直しました。自分にしかできないことは何かと。当初はあれもこれも、と思いましたけど、当時の僕は無名でしたしそこまでの力もなかったですから。最初に頼ったのはビル・ロビンソンですね。後は、IGFの道場でコーチをしていたケンドー・カシン(※4)と藤田和之さん。その3人に教わったことを突き詰めていったんです。

 人の代わりは絶対にいるんです。それでも『この人にしかできない』と思われることをやろうと。後は、お金を払ってくれた人が『こいつをリングにあげて良かった』と思わせるような仕事をすることです。そういう考えになるまで1年くらいかかりましたね」

 プロレスラーになってから、転機となったのは、2015年大日本プロレスで行われた船木誠勝(※5)との試合だったという。この試合で鈴木はファンに認められる存在となった。ここでフリーランスとして生きていくための学びを得たという。

 「ファンに認められるような存在になって、そんな自分を活かして使ってくれたらいいなと思うようになりました。例えば、大日本プロレスでもノアでもいいんですけど、団体の人にどうやったら『鈴木秀樹を使えば何か面白いことがあるかな』とか、『いいことあるかな』と思わせられるか。そう普段から考えるようになりましたね」

 船木との試合後もフリーランスレスラーとして活躍を続け、大日本プロレス、ZERO1IGFを中心に多くの団体のリングに上がっていく。レギュラー参戦していた大日本プロレスでは、団体のエースである関本大介とBJW認定世界ストロングヘビー級王座を争い、遂にベルトを手に入れる。

 その後も、現在は女子プロレス界のトップレスラーになったジュリアの新人時代にグラウンドテクニックを指導したり、女子プロレス団体・アイスリボンにも参戦したりしてプロレス界に話題を提供していった。その活躍が海の向こうにも届いたのか、意外な団体からオファーがきた。

 世界最大のプロレス団体WWEである。鈴木は、そこで初めて団体に所属をすることになった。

 

※4・ケンドー・カシン:新日本プロレスと全日本プロレスで活躍したレスラー。総合格闘技でも本名の石澤常光として活動し、グレイシー一族の一人であるハイアン・グレイシーと対戦した経験もある。

 

※5・船木誠勝:新日本プロレス、第二次UWFで活躍したプロレスラー。理想の格闘技を求めて「パンクラス」を設立し、ヒクソン・グレイシーと対戦するも敗戦を喫し、一度は引退をする。その後、プロレスラーとして復帰をし、現在もフリーとして活動している。

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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