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「綺麗事」が「本当に綺麗なこと」になる【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第21回

森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第21回


森羅万象をよく観察し、深く思考する。新しい気づきを得たとき、日々の生活はより面白くなる――。森博嗣先生の新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」。人生を豊かにする思考のツール&メソッドがここにあります。 ✴︎BEST TIMES連載(2022.4〜2023.9)森博嗣『静かに生きて考える』が書籍化(未公開原稿含む)。絶賛発売中!


 

 

第21回 「綺麗事」が「本当に綺麗なこと」になる

 

【裏表のない善良な人たち】

 

 これについては幾度か書いたことがあって、一部が重複するけれど、つい最近、僕自身がようやく納得できた気がするので、きちんと書いておこうと思う。だから、どちらかというと僕個人の問題、と捉えてもらってかまわない。奥様(あえて敬称)にこの話をしたところ、「当たり前じゃない。今頃気がついたの」といわれた。気づいたというよりも、それを裏づける発言に複数遭遇し、どうやら確からしい、それなら説明がつく、といった感じの緩い納得ではある。

 説明は少々難しい。そもそも最初からそれが当たり前だと思っている人には、何のことかわからない可能性もある。若い世代には理解できない感覚である確率も高い。

 最近(ここ10年ほど)僕が「鼻につくな」と感じていた綺麗事の大半は、どうも単なる綺麗なものであって、無理に装っているとか、建前として立派な言葉を並べているのではなく、発言者はそう信じきっている人たちであり、特に若者の多くは、そのとおり、見かけどおりで、裏表のない、すなわち綺麗な本心を持っているらしい。それが育まれる平和な環境、愛情あふれる社会、友愛に満ちた人間関係の中で育っている。不満を隠すためや、なにかに忖度して言葉を飾り、自分の本心を隠しているわけではない。言葉として出てくる綺麗事が、そのまま彼らの本音なのだ、ということに気づいたのである。遅かったでしょうか?

 もちろん、科学的な調査をしたわけでもないし、そんな証明をすることは難しい。だいいち本心というのが測定できない。発言や行動などから推し量るしかない。でも、どうもそうらしい。さらに憶測を進めると、彼らには本音というものがない、という仮説が導かれる。

 本音というものを後生大事にしてきた僕たちからすると、そう見えてしまう。だが、建前なんてシールドを作るから、本音が生まれるのだ。裏表がない人には、つまり本音がない、といえるはず。

 嫌味に聞こえたかもしれないが、全然そうではない。とても善良な人たちだと思う。健全で優しくて正直なのだから、尊いといえる。

 僕たちの世代は、けっして綺麗とはいえない環境で育った。社会は矛盾に満ち溢れていたし、明らかに正しいものが通らない人間関係に、多くの人が不満を募らせていた。今でいうところの、各種ハラスメントはごく普通のことだった。我慢できない奴は社会の脱落者だ、と後ろ指をさされた。そんななか、表向きは笑顔で、綺麗な言葉で飾り、建前で防衛しながら生きてきたのだ。

 ときどき仲間や友達と話すときだけ、滲むように本音が出た。本音というのは綺麗な言葉にはなりえなかった。反発は憎悪に満ちた表現となりやすいからだ。そして、そういった本音を交わすことが、相手に対する誠意だったし、親しい関係を確認するアイテムでもあった。嫌味をいうのも同じで、本音を仄めかすサインでもあった。年配の方なら、このスタイルが理解できると思う

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森博嗣先生のBEST T!MES連載「静かに生きて考える」が書籍化され、2024年1月17日に発売決定。第1回〜第35回までの原稿(2022.4〜2023.9配信、現在非公開)に、新たに第36回〜第40回の非公開原稿が加わります。

 

 

 世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?

 森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。

 〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。

 

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森博嗣

もり ひろし

1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に『すべてがFになる』で第1回「メフィスト賞」を受賞し、衝撃の作家デビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか、「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、また『The cream of the notes』シリーズ(講談社文庫)、『小説家という職業』(集英社新書)、『科学的とはどういう意味か』(新潮新書)、『孤独の価値』(幻冬舎新書)、『道なき未知』(小社刊)などのエッセィを多数刊行している。

 

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