「綺麗事」が「本当に綺麗なこと」になる【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第21回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第21回
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第21回 「綺麗事」が「本当に綺麗なこと」になる
【裏表のない善良な人たち】
これについては幾度か書いたことがあって、一部が重複するけれど、つい最近、僕自身がようやく納得できた気がするので、きちんと書いておこうと思う。だから、どちらかというと僕個人の問題、と捉えてもらってかまわない。奥様(あえて敬称)にこの話をしたところ、「当たり前じゃない。今頃気がついたの」といわれた。気づいたというよりも、それを裏づける発言に複数遭遇し、どうやら確からしい、それなら説明がつく、といった感じの緩い納得ではある。
説明は少々難しい。そもそも最初からそれが当たり前だと思っている人には、何のことかわからない可能性もある。若い世代には理解できない感覚である確率も高い。
最近(ここ10年ほど)僕が「鼻につくな」と感じていた綺麗事の大半は、どうも単なる綺麗なものであって、無理に装っているとか、建前として立派な言葉を並べているのではなく、発言者はそう信じきっている人たちであり、特に若者の多くは、そのとおり、見かけどおりで、裏表のない、すなわち綺麗な本心を持っているらしい。それが育まれる平和な環境、愛情あふれる社会、友愛に満ちた人間関係の中で育っている。不満を隠すためや、なにかに忖度して言葉を飾り、自分の本心を隠しているわけではない。言葉として出てくる綺麗事が、そのまま彼らの本音なのだ、ということに気づいたのである。遅かったでしょうか?
もちろん、科学的な調査をしたわけでもないし、そんな証明をすることは難しい。だいいち本心というのが測定できない。発言や行動などから推し量るしかない。でも、どうもそうらしい。さらに憶測を進めると、彼らには本音というものがない、という仮説が導かれる。
本音というものを後生大事にしてきた僕たちからすると、そう見えてしまう。だが、建前なんてシールドを作るから、本音が生まれるのだ。裏表がない人には、つまり本音がない、といえるはず。
嫌味に聞こえたかもしれないが、全然そうではない。とても善良な人たちだと思う。健全で優しくて正直なのだから、尊いといえる。
僕たちの世代は、けっして綺麗とはいえない環境で育った。社会は矛盾に満ち溢れていたし、明らかに正しいものが通らない人間関係に、多くの人が不満を募らせていた。今でいうところの、各種ハラスメントはごく普通のことだった。我慢できない奴は社会の脱落者だ、と後ろ指をさされた。そんななか、表向きは笑顔で、綺麗な言葉で飾り、建前で防衛しながら生きてきたのだ。
ときどき仲間や友達と話すときだけ、滲むように本音が出た。本音というのは綺麗な言葉にはなりえなかった。反発は憎悪に満ちた表現となりやすいからだ。そして、そういった本音を交わすことが、相手に対する誠意だったし、親しい関係を確認するアイテムでもあった。嫌味をいうのも同じで、本音を仄めかすサインでもあった。年配の方なら、このスタイルが理解できると思う
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森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。
〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。