「失敗」や「怪我」は生きていくために必要な経験。自分の「情けなさ」を実感し、少しの「逞しさ」を身にまとう〝旅のすすめ〟【西岡正樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「失敗」や「怪我」は生きていくために必要な経験。自分の「情けなさ」を実感し、少しの「逞しさ」を身にまとう〝旅のすすめ〟【西岡正樹】

「南米パタゴニアへの旅」を回想して

パタゴニアの象徴 フィッツロイ

 

 私の愛車「カブ1号」(ホンダスパーカブ110)のシールドに顔を近づけながら、スリランカカレーの店のオーナーさおりさん(仮名)は、懐かしそうな目をして私に話しかけてきました。シールドに貼られたたくさんのステッカーの中に、南米パタゴニア(チリ)の最南端の街「プンタ・アレーナス」のステッカーを見つけたからです。

 「先生、プンタ・アレーナスに行かれたんですか。私も行きました。私は行くつもりはなかったのですが、宿の人に唆されてトレッキングにも参加してひどい目に遭いました」

 「えっ、さおりさんもパタゴニアに行かれたんですか。どこをトレッキングしました?」

 「パイネ(トーレスデルパイネ国立公園)です」

 「パイネですか。パイネはバイクで走れないので、私はパイネの見どころをバスで巡りました。広大な景色がいっぱいの国立公園ですよね。山あり谷あり氷河も見えました」

 「そうですね、私も雲の切れ目から雄大な景色を見ました。でも、吹雪になって遭難しかけて、私、死んじゃうんじゃないかと思いましたもの。」

 

ペリトモレノ氷河

 

 さおりさんのパタゴニア話を耳にしていると、私の脳裏にはパタゴニアの強風を受けてゆらゆら走っている「カブ1号」(私の愛車スーパーカブ110の通称)の姿が浮かび上がってきました。

 私を追い抜いた大型バイクは、まっすぐ走っているのにもかかわらず、カーブを曲がる時のように大きく左に傾いているのです。それを目の当たりにした時、私は実際に当たる風の圧力以上の驚きと恐怖を感じました。

 「あんな大きなバイクをあそこまで傾けないとまっすぐ走れないのだから相当な風だな」

 まるで他人ごとだ。そのような余裕なんて私にはない筈なのに、人は予想外の驚きに触れると、一瞬自分の置かれている状況が分からなくなってしまうものです。 

 201911月、私は多くの困難をクリアし、スーパーカブ110(通称 カブ1号)を横浜からチリの首都サンティアゴ(実際は港町バルパライソで受け取る)に送り出しました。そして1か月後の12月18日、私は通関代行業者のサポートを受け2日もかけて通関手続きを終え、サンティアゴ近郊の港町バルパライソで「カブ1号」を受け取ることができたのですその折、私のとんだ思い込み〔落ち合う場所を間違えた〕により、代行業者に大きな迷惑をかけてしまいました)。それから2日後、チリに到着してから1週間後の1220日、漸く私は「パタゴニア10000㎞原付バイク旅」に出かけることができました。

 大まかに3か月間(約10000km)のバイク旅の行程をお話しますと、まず、サンティアゴ市民のリゾート地ビーニャ・デル・マル(私の宿があった)から南米最南端の街ウシュアイアまで太平洋側(チリ)を南下し、次に、ウシュアイアから大西洋側(アルゼンチン)をバイアブランカ(ブエノスアイレス州の港町)まで北上します。そして、バイアブランカで西へ進路を変え、高原避暑地バリローチェ(南米のスイスと呼ばれる)までパタゴニアを横断するのです。最後の道程はバリローチェからビーニャまで、12月に走った道を再び北上し、戻ってくるという計画です。走行距離はおよそ10000km、ただただ心配なのは、もうすぐ68歳になる私の体力と「カブ1号」のエンジン、そしてパタゴニアの強い風でした。

 

強風の中(風は見えない)

 

 とは言うものの出発する前の私は、何の実感もないままパタゴニアの風を安易に考えていました。「風は吹くだろうけど『止まない風はない』のだからきっと大丈夫だろう」自分を納得させる思いだけが私の心を支配していたのです。また、パタゴニアを旅した経験のある旅仲間の「まさし」に「先生、本当に吹き飛ばされますから、風を甘く見ちゃだめですよ」と釘を刺されていたにもかかわらず、「まあそれがどんなものなのか体験するのも良いのではないか」それぐらいの余裕を持っていたというのが、その時の心境です。

次のページパタゴニアの強風は私の予想をはるかに越えるそれはそれは恐ろしいものだった

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西岡正樹

にしおか まさき

小学校教師

1976年立教大学卒、1977年玉川大学通信教育過程修了。1977年より2001年3月まで24年間、茅ヶ崎市内の小学校に教諭として勤務。退職後、2001年から世界バイク旅を始める。現在まで、世界65カ国約16万km走破。また、2022年3月まで国内滞在時、臨時教員として茅ヶ崎市内公立小学校に勤務する。
「旅を終えるといつも感じることは、自分がいかに逞しくないか、ということ。そして、いかに日常が大切か、ということだ。旅は教師としての自分も成長させていることを、実践を通して感じている」。
著書に『世界は僕の教室』(ノベル倶楽部)がある。

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