俄然注目のドラマ『燕は戻ってこない』 都会で暮らす地方出身者の貧困と〝代理出産〟の現実と心情【小林久乃】
◾️ドラマから浮き彫りになる貧困と格差社会のゆくえ
大まかにドラマを見ていると、卵子提供や代理出産が主題に感じる。ただ私が思うのは、それらは導入のパーツであって、物語の向こうに見えるのは貧困と格差社会だ。
理紀は元々、地元・北海道で働いていたものの、うだつの上がらない生活を送っていた。「東京に行けば何かが変わる」。そんな思いを抱いて上京するものの、物価高の都会は彼女の生活も心も疲弊させていく。対するように草桶は大層、裕福だ。まるでゲームのように数万円、数十万円、数百万円単位で金を使っていく。
代理出産契約をする以前に、理紀と草桶夫妻が出会うシーンが会った。道路で転倒していて軽くケガをしていた理紀に、悠子は真っ白でアイロンがけの行き届いたハンカチを差し出す。理紀は受け取ったけれど、どこかに惨めさがあったと思う。余裕のある生活をしている人は、白いハンカチが汚れることも気にしない。また買えばいいと思っている。時間があるからアイロンもかけられる。どれも自分にはない。格差を感じたシーンだった。
この格差は現実だ。私も地方で働いていた経験があるけれど、田舎はとかく協調性を求められる。何か突出したことをしようものなら、異端児扱いされて終わり。その代わりと言ってはなんだが、流れていく時間だけは穏やかで、緩い。そんな生活に辟易、上京をしても他よりも秀でようと強調性ばかりを重視して、空回りしてしまう。さらに都会で、そもそも実家が太い人間には到底敵わない現実も襲ってくる。すべては政治が生んだ、負の遺産のようだ。この貧困格差を何とかしてほしいというのが、ドラマから伝わるメッセージではないか。