新発見された最古級の伝世木簡が東京国立博物館で初公開
法隆寺献納宝物から見つかった7世紀の木簡には何が書いてある?
■仏教祭祀の道具に再利用されていた木簡
木簡とは、文字が墨書きされた短冊状の細長い木の板のこと。遺跡から出土するのが一般的で、地中に埋まらずに現代まで伝わった伝世品はこれまで8世紀の正倉院の例だけが知られていた。ところが今回、7世紀にまでさかのぼる最古級の伝世品が、東京国立博物館の法隆寺献納宝物より発見された。
法隆寺献納宝物は、廃仏毀釈から宝物を守り伝えるため明治11年(1878)に皇室に献納された仏教美術作品群だ。奈良県にある法隆寺に伝来した宝物で、飛鳥から奈良時代を中心に、まだ日本に仏教が伝来したばかりの頃(6世紀半ば~)の作品を多く含む。明治11~15年の間は正倉院で保管され、第二次世界大戦後に一部が国有財産となり、現在は東京国立博物館で保管、法隆寺宝物館で公開されている。
発見された木簡は8点。和紙に包まれ、160点以上の幡芯板と共に箱に納められていた。幡(ばん)とは仏教祭祀に用いられる道具で、幡芯板はその芯となる板である。包まれていた和紙には「第四 新羅墨(しらぎすみ)」(「新羅墨」とは、正倉院の所蔵品である「墨 9・10号」を指す)と朱書きされていたことから、正倉院に置かれていたことが判明。保存の良いものの中には両端が斜めに削り取られたものがあり、どうやら木簡としての役目を終えた後に二次加工を施され、幡芯板として再利用されたと見られている。そのため、土に埋められることなく奇跡的に残ったのだろう。
これが何故7世紀にさかのぼる最古級の伝世品だと判明したか?
それは、発見された木簡に「月生(つきたちて)」という、7世紀の資料にしか見られない日付を記す際の特殊な用語が書かれていたからだ。そのほかの木簡には、漢文の長詩である「千字文」の習書や尼僧の名前、塩などの売買記録が記されている。7世紀末の寺院において、物品管理や漢字漢文の学習など広く木簡が使われていたことがうかがえる。古代の法隆寺を考えるうえで非常に貴重な資料といえるだろう。
新発見の木簡の展示は8月23日(火)~9月19日(月・祝)まで。東京国立博物館 法隆寺宝物館第6室で公開されている。
会場/東京国立博物館 法隆寺宝物館 第6室
会期/2016年8月23日(火)~9月19日(月・祝)
現存長12メートルを超える長大な「広東綾大幡」を中心とした展示。館内の作品調査で新たに発見された幡芯板を初公開する。