ナルシズムが身を滅ぼした太田道灌
季節と時節でつづる戦国おりおり 第251回
続々と日本人金メダリストが誕生したリオ五輪も終わり、このブログが更新される頃には閉会式で小池百合子新都知事が五輪旗を受け取っている事でしょう。皆様の寝不足もようやく解消ですね(笑)。
今回の五輪でもひときわ目立ったのは、やはり男子陸上短距離のウサイン・ボルトでしょう。三連覇を達成した走りっぷり、いつもながら中盤からの伸びっぷりはサイボーグ009の島村ジョーのような加速装置がついているのではないかと考えてしまうほど(古くて失礼)。
彼を見ていると日本人とは足の長さも段違いながら、筋肉の付き方も全然違いますね、こういうのはトレーニングや食生活ではどうにもならないDNAのなせるわざなのかも知れません。
そしてその筋肉美をもって、おなじみの勝利のポーズを決めるボルト。ああいうのは自分に絶対の自信があって、それを観衆にも知らしめたいという、ある種の「ナルシズム」の発露なのでしょうが、それもまた彼の勝利の原動力になっていると思います。ナルシズムを自己消化してエネルギーに変える。ボルト恐るべし。
というわけで、今回はナルシスト武将の話。
長かった応仁の乱がようやく終わり北条早雲が堀越公方を攻め殺すという大きな動きの狭間、まさに戦国時代のとばぐちと言える時に事件は起こった。文明18年7月26日(現在の暦で1486年8月25日、太田道潅が主君の上杉定正に謀殺されたのだ。
道灌といえば江戸城の修築や「山吹の歌」のエピソードで知られる武将だが、関東管領家の分家・扇谷上杉定正の家宰(家老)。
関東公方と関東管領の抗争(享徳の乱)のなかで活躍した道灌だったが、定正から徐々に疎まれるようになってしまった。彼の実力を恐れたとも、関東管領家に対する謀反を疑ったともいうが、定正は下克上を時代にさきがけて察知したのだろうか。
この道灌、子供の頃から才気煥発で、父に
「知恵のある者はつい他人を欺こうと考えるが、それが身を滅ぼす元になる。障子はまっすぐでないと立たないように、つねに真っ正直でいろ」
と諭されても
「屏風は曲がっていないと立ちません」
と言い返し、
「おごれる者は久しからず」
と書き与えられると
「おごらざる者も久しからず」
と書き直してしまったと伝わる。
絵に描いたような才子、ああ言えばこう言うの見本。まさに自分の智に絶対の自信を持ち他人の忠告など受け入れない究極のナルシストだ。