「瘦せることがすべて」
そんな瘦せ姫と万引きとの
根深い関係を解く……
摂食障害になった女性たちとの30年余りの交流の軌跡が話題に!
「万引きも薬物も、私にとっては現実逃避というよりも、心のバランスを取るための方法だったのかな、と思うんです。シーソーの片方につらい現実があって、そのストレスで負荷がかかっている。それが重いがゆえに、もう片方にもヘビーなものが乗らないと、バランスが取れなかったんでしょう。なんとか社会生活をしていくために、ある程度〝平気な顔〟をする必要があるじゃないですか。そのためには、つらいことを忘れる時間が必要だったんです」
たしかに、人は誰もがバランスをとりながら生きています。ただ、多くの場合、それは善と悪、正と負の使い分けだったりします。会社でパワハラに悩まされている人が家庭ではDVで発散していたり。しかし、この告白者は多重嗜癖(しへき)でした。その依存対象はダイエットに過食、万引き、援助交際、薬物など多岐にわたり、それらをとっかえひっかえ行なうことで、つらさをまぎらわせていたのです。
その対処法は、多重債務を抱えた人にも通じる気がします。つらさをまぎらわすために、摂食障害という世間的には病的とされるやり方に頼り、そのつらさをまぎらわすために、窃盗や売春といった世間的に罪とされるやり方に頼るというのは、借金をより利息の高い借金で返済するようなものでしょう。いや、それはもう、利息分の返済くらいにしかなっていないのかもしれません。
つらさを忘れられるのはほんの束の間で、差し引きで考えれば、つらさだけが増していく、そんな状況にすら思えます。つまりはそれほど、食という生きることの基本がうまくいかなくなることの影響は大きなハンディとなるわけです。
ちなみに、万引きのような行為も人間の本能的なものだとする見方があります。原始、生き延びるためには知恵や道具を駆使して、食糧になるものを他の動物から「盗む」ことも必要だったことから、その記憶が刷り込まれているのだと。
さらにいえば、人間には、罪を犯すことでしか自我を確認できないという行動パターンもときに見られます。たとえば、三島由紀夫の小説『金閣寺』のモデルとなった青年僧は、統合失調症になりかけていました。寺に放火したのは、そうでもしないと自我を確認できなかったからだという説もあります(註3)。
つまり、窃盗癖がついてしまうと、それが自我の確認、言い換えれば生きている実感を得るためになくてはならないものにもなってしまうわけです。それはもう、アルコール中毒などと同じ状態でしょう。犯罪であるぶん、この世での生きづらさはそれ以上だとも考えられます。
そういう意味で『彼女たちはなぜ万引きがやめられないのか?』には、象徴的な告白がありました。十数年にわたって、過食嘔吐と食材の万引きを繰り返してきた女性のものです。三度目の服役を前に、入院治療を受けたあと、彼女は主治医に宛てた絵葉書にこう書きました。
「近頃、たまに、入院生活は現実だったのかしら、と考えることがあります。楽しい夢でも見ていたような、あんなに暖かい空気に包まれた場所は初めてでした。できることなら、あのままずっと入院していたかったです。素敵な思い出をありがとうございました」
この絵葉書を投函した彼女は、家に戻り自殺。35年の生涯を閉じることとなります。入院中は窃盗癖を治してもう一度やり直せるのでは、という希望も抱けたものの、退院後、服役が近づくにつれ、刑務所生活の恐怖がよみがえり、また、病院以外の場所では「誰からも眉をひそめられる存在」でしかないというあきらめにさいなまれた結果でした。
瘦せ姫には病院、とくに入院を嫌がる人も多いなか、彼女にはもう、入院生活にしか安息の地はなかったのでしょう。窃盗癖という、反社会的な症状が加わってしまったときの深刻さを痛切に感じさせるケースです。
さて、摂食障害と反社会的なものといえば、触れておきたいことがもうひとつあります。援助交際です。
(註1)『ドキュメント摂食障害』加藤秀樹(時事通信社)
(註2)『ジャック・デロシュの日記―隠されたホロコースト』ジャン・モラ(岩崎書店)
(註3)『倒錯―幼女連続殺人事件と妄想の時代』伊丹十三/岸田秀/福島章(ネスコ)
【著者プロフィール】
エフ=宝泉薫(えふ=ほうせん・かおる)
1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』などに執筆する。また健康雑誌『FYTTE』で女性のダイエット、摂食障害に関する企画、取材に取り組み、1995年に『ドキュメント摂食障害—明日の私を見つめて』(時事通信社・加藤秀樹名義)を出版。2007年からSNSでの執筆も開始し、現在、ブログ『痩せ姫の光と影』(http://ameblo.jp/fuji507/)などを更新中。
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