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ド底辺から業界3位までDDTを育てた男・髙木三四郎が語る「ど底辺から立ち上がる方法」

(写真・髙木三四郎選手のXより引用許諾済)

 

■「路上プロレス」は本屋から始まった

 

 髙木三四郎を語るうえで忘れてはいけないのが「路上プロレス」の存在だ。今では、全国各地の町おこしイベントにも採用されるほど、市民権を得ている。とくに髙木自身が選手として出場した「新幹線プロレス」は、大きな話題を呼び、地上波のテレビ局でも取り上げられるほどである。今年7月にも「都電プロレス」を開催し、こちらもインターネットを中心に話題沸騰、賛否両論を巻き起こした。

 プロレスといえば四角いリングの上でやるのが常識であった。そのリングを取っ払ってプロレスをしようとするのだから前代未聞である。どうして「路上プロレス」をやろうと思ったのだろうか。

 「きっかけは、2005年に太田出版さんから自分の本が出版されたときです。本を出すとプロモーションやってくれって言われるじゃないですか。当時はサイン会とかが主流だったんです。多分担当者は『サイン会やってくださいよ』ぐらいのノリで言ってたと思うんですけど、僕はどうしても普通のことやりたくなかったんで『やるんだったらサイン会の前にプロレスやりますよ。やるのを認めてくれるような本屋を探してください』って言ったら、東京・中井にある伊野尾書店さんが名乗りを上げてくれて『本屋プロレス』ができたんです。それが僕たちの『路上プロレス』のスタートです」

 「僕たちの」ということは、路上プロレスを生み出したのは髙木三四郎ではないのか。髙木に聞いてみると彼はすぐに答えを出してくれた。

 「路上プロレスは源流があって、元々はサバイバル飛田(※8)さんなんですよ。彼は埼玉プロレスでリングのない場所でプロレスをやってたんです。もう本当に源流ですよね、あとは、アメリカで飯伏(幸太)が『リングないけど、ライブハウスでプロレスちょっとやってくれ』と言われて、本当にライブハウスに乱入して中澤マイケル(※9)とやったという話を聞いていたんです。確か飛田さんと同じくらいですね」

 そういって髙木が見せてくれたのが古いブログであった。

 「これが2006年埼玉プロレス釣り大会の写真。この辺でやったのがおそらく本当に最初の路上プロレスじゃないかなと思っています。路上プロレスの歴史自体は、僕らが元祖というわけではなく、その前からやっていたんですね」

 他団体が先にやっていたとはいえ、メジャーにしたのは髙木三四郎なのは間違いない。通常のプロレス団体なら、提案しても却下されるだろう「路上プロレス」を採用した理由はなんだったのだろうか。

 「それは一言で言っちゃうと、メジャーがやらないからです。僕らはメジャーと同じことやってもダメ。インディーっていうか、僕はインディーというよりはベンチャービジネスだと思ってるんですけど、ベンチャーって大手企業がやらないものに活路を見出していくものじゃないですか。僕らはインディーをベンチャープロレスだと思っているんです。だから、メジャーが絶対にやらないことをやってやろうって思ったのがきっかけですね」

 インディープロレスといえば、デスマッチを売り物にしている団体も多い。かつては大仁田厚が立ち上げたFMWを筆頭に、大日本プロレス、プロレスリングFREEDOMSもデスマッチファイターが多数所属している。しかしDDTはデスマッチを行った経験はあるが、興行のメインに据えたことはない。デスマッチをメインにしなかった理由を髙木に聞いてみた。

 「すでに他所の団体がやっているので、うちはいいかなっていうのが結論です」

 「他人とは違うプロレス」というのはインディー、いやベンチャープロレス団体同士でも同じであった。

 

※8 サバイバル飛田:1994年にプロレスデビュー。「凡庸なる超人」をキャッチコピーに活動。1999年埼玉プロレスを旗揚げして以降も活動を続けている。

※9 中澤マイケル:2005年にデビュー。アメリカ留学を経験し、スポーツ科学修士号、NSCA認定パーソナルトレーナー資格を持つ。現在はアメリカAEWのスタッフ兼選手であり、DDT所属のプロレスラーである。

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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