札幌・すすきのラブホテル殺人事件 〝怪物〟と化した3人家族の向こうに見えた映画【小林久乃】
◾️国民一斉総怪物時代なのかもしれない
田村一家の事件は明るみになっただけで、ひとつの事例だ。もし今回の事件で区切りがつかなければ、もっと被害は増大していたかもしれないと思うと、安堵と戦慄が同時に訪れる。
家庭が存在すれば、どこにも漏らしたくない秘密の一つや二つは抱えている。代表的なところで家庭内暴力、性暴行、子どもの非行、病気など。家庭があればそれらを取り巻く血縁もあって、そこにもまた怪物がいるのでは? と思う。隠す、ということで共有していく秘密はどんどん増えていくばかりなのだ。
よく人間関係で「なんでも腹を割って話せば」というけれど、とんでもない。割った先の後始末が面倒なのだから、全てをさらけ出せるはずがない。そして聞いた相手が何かを解決してくれるわけではないのだから余分なことは言わずに口をつぐむ。
単身で生活をしている私さえも家族、友人、恋人に言えないことはある。それがどの程度の秘密なのかは、漏らしたことがないのでわからない(もちろん逮捕されるようなことではない)。でも皆、大な小なり、何かを抱えて生きている怪物。田村一家は極端に秘密が膨れ上がり、怪物化してしまっただけ。
「怪物、だーれだ」
先述の映画『怪物』で劇中の有名なセリフ。この答え、私なら「自分だ」と回答する。いやもっと明るく「私だよ〜?」とでも返そうか。
文:小林久乃(コラムニスト、編集者)