「なぜ死に魅入られてしまったのか?」
プリンセスたちと摂食障害の深い関係。
摂食障害になった女性たちとの30年余りの交流の軌跡が話題の書に!
作者の紫式部は、ヒロインたちが物思いによって身を細らせる姿に切実さや崇高さを見て、独自の美として描きました。なかでも、現代の瘦せ姫に通じる精神性を強く感じさせるのが、宇治の大君です。
落魄(らくはく)した皇族の娘である彼女は、光源氏の息子・薫に想われ、求婚されながらも、自信のなさや愛への不信感から拒絶。自分の代わりに妹を娶(めあ)わせようとした計画の失敗を機に、絶食状態となり、20代半ばで亡くなります。
その体型はもともと「瘦せ瘦せ」と形容されるものでしたから、臨終を迎えようとするときにはこんな状態になっていました。
「(略)もう瘦せ細って影のようになりお腕(うで)なども痛々しく細り、今にもこわれそうな、なよなよした感じでしたが、お肌の色艶は不思議に衰えず、いよいよ透き通るように白く清らかでした。掛け物も重いといわれ押しやって、白いお召物の柔らかなのだけを重ねていらっしゃるお姿は、衣裳の中に身のない雛人形を寝かせているようにはかなげに見えます」(註4)
また、火葬の際には「煙も多くむすぼほれたまはずなりぬる」とあります。煙が多く立ち昇らなかったのは、それくらい瘦せ細っていたからでしょうか。
そんな大君は、薫の求婚に対し、自らの命を「涙の玉」にたとえ、拒絶しました。ある瘦せ姫は、ブログにこんな感想を漏らしたものです。
「私も涙の玉のように儚い、繋ぎ留める事も出来ないような命になってしまいたい……」
彼女は当時、170センチ弱で30キロ台前半でしたが、やがて20キロ台後半まで瘦せました。