21世紀の東京はただただとても土が堅かった――。
“プロレタリア芸人”が綴る、東京悲観記。
現在観測 第42回
東京五輪ピック、表彰台を造れたらいいなあと思います。
僕の見た二十一世紀の東京は高層ビルも華やかなネオンもありませんでした。ただただとても土が堅かった。穴掘りという重労働を東京に縁もゆかりもない僕にやらすのかと思いました。地元の奴が掘れ。東京の奴が掘れ。建設の仕事では東京、千葉、埼玉、神奈川の現場を渡り歩きました。思ったのはこっちの方は経済圏が広すぎるということでした。
通勤が「明日嫌やな」の大半を占めていました。なんで朝六時でもう座られへんねん。そして七時台は体が宙に浮くほどの鮨詰め。車内にはたくさんの人達。ふと、この人達はなんでここにいるのかと思いました。よく考えれば、まだ地元の人や就職や転勤で上京してきた人。これは仕方がない。でも僕は売れてないのに勝手に東京に来て何をしてるんだ。
気付きました。本来ここにいなくていいのは僕でした。僕は、ただいたずらに電車を一人分混ませてしまっただけでした。僕が上京しなかったら、隣の兄ちゃんはリュックを前に抱えてぎゅっとしなくてすんだかもしれない。
気が付けば派遣バイトではなく職人になっていました。大工になってしまいました。でも大工として働けば働くほど何かが死んでしまう気がします。僕は今月、誰に宣言することもなく芸人を辞めていました。じゃあこれは誰の何の文章やねん、といま自分に突っ込んでいます。
最近はほぼ現場しか出ていませんでした。僕はもうネタと聞けば木材が浮かんでしまいます。漫才よりも先に。現場で木材のことをネタというのです。芸人のかたわら建設現場で働き始めた時とは違って、大工仕事まみれの僕を今となってはもう誰も面白がってもくれません。お笑いの仕事の発注がない中で、大工さんたちは「本坊君」「本坊さん」と呼んでくれます。名前を呼ばれるのが嬉しいのです。こっちでは必要としてくれるのです。
東京五輪ピック、表彰台を造れたらいいなあと思います。でも芸人仲間は呆れて、いつまで違う仕事やってんだという感じで見られます。仕事でもお酒を飲んでいても、口から現場のことしかでなくなりました。何ですか俺はと自分でも思います。芸人仲間と会話がかみ合わず、微妙な距離感に喉を「フフ」と低く鳴らして帰りたいと思う毎日です。何か分からんけどこれ誰かに病気って言って欲しい。でも治るから待って欲しい。