小池百合子はカイロ大学に“コネ留学”していた?背後にちらつく元総理大臣・中曽根康弘の影【浅川芳裕】
エジプトの国家エージェント 小池百合子
■ハーテムの懐に小池を送り込んだ中曽根
小池の「私の原点」と題する記事(『季刊アラブ』54号、1989年)を読めば、エジプト留学が協会の派遣事業であった様子もうかがえる。
1971年9月のカイロ出発時に小池は、「アラブ協会中谷武世会長に見送られ」、「カイロ大学を卒業して、(中略)帰国後はアラブ協会でのアラビア語講師」「大協石油のアラブ要員」(注:同社会長は協会の6代会長)となり、「協会名誉顧問であるエジプトのハーテムとは現在に至るまで文字どおり家族的付き合いを続けている」と語っている。
中谷会長はハーテムの盟友だった。国賓級の待遇でハーテムから幾度となく、エジプトに招待され、日本のエジプト向けODA(政府開発援助)開始や増額に貢献した人物である。その“功績“から大統領最高勲章も授与されている。小池はその中谷を“師父“と仰ぎ、「中谷会長の遺産を引継ぐ」と『季刊アラブ』で述べている。
ここからアフバール紙記事に登場する3人─小池、中曽根元首相、ハーテム元副首相の相互関係について確認しておこう。
中曽根とハーテムの親交が始まったのはハーテムの伝記『アブドゥル・カーデル・ハーテム回想録─10月戦争政府の首班』によれば、1954年である。
筆者が確認できた中曽根が最初にエジプト訪問した記録は1957年で、ナセル大統領と面会している(『日本とアラブ 日本アラブ交流史』1983年)。ハーテムは当時、ナセル大統領筆頭補佐官であった。
この訪問に中曽根を誘ったのが“小池の師父“中谷だ。
中曽根─中谷─ナセル会談の翌年、日本アラブ協会が創設される。その背景は『季刊アラブ』(23号、1974年11月)に記されている。
《日本とエジプト間の友好関係増進の必要を強調されたナセル大統領の要請に応じて、(中略)1958年9月に日本の政財界及び学界の有力者達と共に、日本アラブ協会を創立した》(カーレック・エジプト共和国大使)
ハーテムの日本アラブ協会名誉会長就任レセプションでは、来賓を代表して中曽根(当時通産大臣)はこう語っている。
《ハーテム博士が日本アラブ協会の名誉会長に就任されたことは、日本としては最も有能なる日本の全権大使がアラブの中心地カイロに駐在してもらっているのと同じだ》
日本のアラブ外交に資する人物として、ハーテムに全幅の信頼を置いていたことがわかる。その彼の懐に小池を送り込んだというわけだ。