小池百合子はカイロ大学に“コネ留学”していた?背後にちらつく元総理大臣・中曽根康弘の影【浅川芳裕】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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小池百合子はカイロ大学に“コネ留学”していた?背後にちらつく元総理大臣・中曽根康弘の影【浅川芳裕】

エジプトの国家エージェント 小池百合子

■小池とハーテム、中曽根の関係

 そして、もう一つが小池プロジェクトである。

《ハーテム博士がエジプト日本友好協会を通じて行った活動のひとつに、次のことがある。1970年に日本の首相からの要請で、当時14歳だった小池百合子さんという日本人の女の子を養女にしたこと。彼女は1976年にカイロ大学を卒業》(同前)

 序章で同記事を引用した際は、「14歳養女説」を裏付ける資料がなかったが、その後、以下の記事を発見した。

《ハテム氏の事務所をたずねたときに氏が、小池さんを指して「こんな、小さなお嬢さんのころから知っているが、いまはアラビア語もすっかり身について」といっておられたのを思い浮かべつつ私は圧倒されていた。》(上坂冬子「はじめてのエジプト旅行」『季刊アラブ』57号、1991年)

 これはノンフィクション作家で評論家の上坂冬子が小池とエジプトへ同行した際、面会したハーテムとの会話を綴ったものだ。

 小池がカイロ留学したのは19歳だが、そのときが初対面であれば「こんな、小さなお嬢さん」とは言うまい。

 記録に残っているハーテムの初来日は1966年である。小池14歳のときだ。そのときにハーテムと小池が会っていたとすれば、「小さなお嬢さん」はうなずける。

 その真相は、父・勇二郎とハーテムの関係をみていけば、察しはつく。

「お父さんと、当時エジプトの情報相であったドクター・ハーテムが知り合い」との小池のルームメイト北原氏の証言はあるが、勇二郎本人も『季刊アラブ』(15号、1970年)に投稿したエジプト訪問で、懇意にしていたことを明かしている。

《先にアラブ連盟特使として来日されたハーテム博士が小生の健康状態を心配されて度々見舞の電話を頂戴し、医者を派遣された御好意、そして出発の日、アレキサンドリアからご夫妻で小生のホテルへ訪問された御厚情には私は深く感激したことを記しておきたい》

 では、小池と中曽根はどんな関係だったのか。

《中曽根氏と初めてお会いしたのは、私が小学生の頃だったか。いつ、どこでと、細かいことは覚えていないが、水色の運動靴をはいて行ったことだけは鮮明に記憶している。何やら私の父が昔から存じ上げているようで、冬の季節になると毎年群馬の白ネギがどさっと家に送られてきていた。関西では珍しかった白ネギが、スキヤキ鍋の中で煮える頃、「これは、ナカソネサンとかいうおじさんからいただいたものなんだって」と、兄と話しながらパクついたものである》(「おんなの人脈づくり サクセスウーマンへのPASSPORT」1985年)

《父は、中曽根康弘さんや福田赳夫さんを励ます会が大阪で開かれるときには、よく兄と私を伴って参加した。中曽根さんや福田さんが滞在するホテルの部屋まで訪ね、挨拶をさせられたことを覚えている》(「自宅で親を看取る 肺がんの母は一服くゆらせ旅立った」2014年)

 小池の父・勇二郎は中曽根の熱烈な支援者だったのだ。

 加えて、勇二郎は日本アラブ協会の理事を務めており、発起人兼顧問の中曽根とは協会を通じたつながりも深かった。

 以上、中曽根・ハーテム・中谷・小池の父・小池のただならぬ深い関係はよくわかった。

※浅川芳裕著『エジプトの国家エージェント小池百合子』(ベスト新書)より抜粋

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浅川 芳裕

あさかわ よしひろ

ジャーナリスト

1974年、山口県生まれ。ジャーナリスト・農業アドバイザー。カイロ大学文学部東洋言語学科セム語専科中退。農業専門誌『農業経営者』副編集長、ジャガイモ専門誌『ポテカル』編集長、農業総合サイト『農業ビジネス』編集長などを歴任。著書はベストセラー『日本は世界5位の農業大国』(講談社+α新書)、『ドナルド・トランプ 黒の説得術』(東京堂出版)ほか多数。弊社刊『カイロ大学 “闘争と平和”の混沌』(ベスト新書)がロングセラーに。

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  • 浅川芳裕
  • 2024.07.17