適度な自己中のすすめ【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第27回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第27回
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第27回 適度な自己中のすすめ
【なさけは人のためならず?】
僕が子供のときには、この言葉をよく聞かされた。今の人には、「なさけ」が通じないかもしれない。漢字で「情け」と書くが、これは、思いやり、心配、同情、慈愛、情愛、憐れみ、風情など、人間の感情を幅広く示す言葉である。たとえば、「なさけをかける」といえば、他者への思いやりを言葉や行動で示すこと。また、「なさけない」とは、無情、無愛想、無骨、あさましい、といった意味になる。
他者に対して親切に接し、援助をしなさい、というとき、「なさけは人のためならず」といわれる。これを、逆の意味に取って、「甘やかしたら、その人のためにならない」と間違った解釈をしている人が多い。そうではなく、「親切にすれば、回り回って自分が得をする」というのが真意であり、ようするに、人に親切にすることが自分のためになる、という、いかにも「道徳的」な教えといえる。
よく「自分勝手」「自己中」というのは、自分の利益だけを考え、周囲に迷惑をかける人間を非難する言葉として用いられるけれど、周囲と同調、協調して信頼を得ることも、間接的にであれ自分自身の利益となるわけだから、自分勝手や自己中と同じく、「周囲との協調」も自己利益のためであることには変わりない。
自己利益の追求は、人間はもちろん、すべての生物の本能的な欲求だろう。生きているものは例外なく、「自分ファースト」なのだ。ただ、自己利益追求の戦略が、思考力によって異なる。短絡的で刹那的だと、自分勝手で他者の迷惑を考えない手法となる。一方、理性的で計画的になると、周囲との協調を重んじる道徳的な手法を選択し、結果的により大きな自己利益を得る。考えなしで目前の利益を取ると犯罪者になり、少し考え状況を鑑みれば聖人、君子となる。当然ながら、得られる利益にも格差が生じる。他者へのなさけは自分のためだ、という教訓の趣旨はここにある。
ただ、その道理がわかっていても、道徳的な行為で利益を得る手法に対して、良い子振っているのが鼻持ちならない、白々しい演技であって、そんなものは偽善だ、といった批判的な感情を持つ場合もあるだろう。優等生は嫌いだ、自分に正直でいたい、と考える。これも、一理ある。たしかにそのとおりだ、と僕も思う。
さて、皆さんはどう考えるのだろうか? 多くの場合、周囲に迷惑をかける厄介者には、「そんな生き方は損だよ」と説得するけれど、彼らには、自己利益のために善人振ることが汚く見えている。損だわかっていても自由に生きたいという考えに、あなたはどう反論できるだろうか?
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森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。
〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。