なぜ「もしもし」は「もし」を二語重ねるのか?それは人間と妖怪の分岐点だった【呉智英】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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なぜ「もしもし」は「もし」を二語重ねるのか?それは人間と妖怪の分岐点だった【呉智英】

「日本語ブーム」の今、見落とされてはいけない「日本語の真実」

「もしもし」と二語重ねる理由

 問題は、なぜ「もしもし」と二語重ねるかだ。

 柳田國男は『妖怪談義』の中で、日本各地の風習として、こんなことを書いている。人の顔がぼんやりとしか見えなくなる黄昏時、「もし」と声をかけられたら返事をしてはならない。それは妖怪だからだ。この世ならぬ世界に住む者たちは、一言でしか声をかけられない。だから、逆に自分が妖しい者だと思われたくなければ、必ず「もしもし」と二声かけなければならない。

▲「もし」しか言わなければ妖怪になってしまう?

 妖怪は人間とちがってさまざまな超能力を持っている。空を飛ぶ、怪力がある、化ける、心を読む。そのくせ、人間なら誰にでもできる平凡なことができない。二語続けて言えないのである。おそらく、ここには、人間が言葉を自由に駆使して自然を征服していった自信が反映しているのだろう。

 類似の話は、民話や神話によく出てくる。古事記・日本書紀に描かれた一言主という神は、現在も奈良県葛城の山中に一言主神社として祀られている。この神は、善い事も悪い事も一言で言うので一言主と称するとされ、神社の説明書には、一言で願いをかけるとよく叶うなどと書いてある。しかし、一言で願いをかけるって、どうするんだろう。「東大合格」だって「病気全快」だって「正夫さんと結婚できますように」だって、一言ではないと思うんだけど。

 この一言主は、元は葛城山に住む精霊のたぐいだったのであろう。それは同時に、その地に住む人たちにとっては守り神でもあった。『続日本紀』によれば、一言主は雄略天皇と獲物を争い、天皇の怒りに触れて土佐に流された、ということになっている。この話に、大和朝廷の勢力伸張を読み取る学者は多い。

 日本古来の妖怪や土着の神は、「もし」としか言えない。「もし」としか声をかけない者にうかつに返事をすると、異界に誘い込まれてしまう。携帯電話で「もし」と一言しか言わないのは……、あれ、これはワン切りだから、やっぱり異界に誘い込まれちゃうのか。まさかこんなところにまで日本文化の伝統が生き続けていようとは。

〈『言葉の煎じ薬(著:呉智英)より抜粋〉 

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呉智英

くれ ともふさ/ごちえい

評論家

評論家。一九四六年生まれ。愛知県出身。早稲田大法学部卒業。評論の対象は、社会、文化、言葉、マンガなど。日本マンガ学会発足時から十四年間理事を務めた(そのうち会長を四期)。東京理科大学、愛知県立大学などで非常勤講師を務めた。『封建主義 その論理と情熱』『読書家の新技術』『大衆食堂の人々』『現代マンガの全体像』『マンガ狂につける薬』『危険な思想家』『犬儒派だもの』『現代人の論語』『吉本隆明という共同幻想』『つぎはぎ仏教入門』『真実の名古屋論』『日本衆愚社会』『バカに唾をかけろ』など著書多数。加藤博子との共著『死と向き合う言葉』(小社刊)がある。「呉智英 言葉の診察室」シリーズ全四冊(①『言葉につける薬』、②『ロゴスの名はロゴス』、③『言葉の常備薬』、④『言葉の煎じ薬』)がベスト新書より【増補新版】で刊行。

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