伝説の刀剣、骨喰藤四郎も展示!「真田丸」の特別展が大阪で開催
2016年NHK大河ドラマ特別展「真田丸」 大阪会場の見所は?
■大坂冬の陣直後に描かれた、真田丸の貴重な図
慶長5年(1600)9月15日、関ヶ原の戦いで石田三成率いる西軍が敗北。その報せは上田に入る真田昌幸・信繁(幸村)父子のもとにも届いた。第2次上田合戦で徳川秀忠に勝利した昌幸と信繁だったが、西軍の敗北により高野山へ追放となってしまう。昌幸と信繁の九度山での隠棲生活については、不明な部分が多い。しかし、現存する信繁の書状に書かれている内容では、焼酎を要求しているなど侘しい生活を送っていたことが窺い知れる。
14年に及ぶ雌伏(しふく)の日々を経て、慶長19年(1614)10月、再び信繁に転機が訪れる。豊臣家と徳川家の最終決戦「大坂の陣」が始まろうとしていたのであった――。
いよいよ始まった大坂冬の陣で信繁は真田丸を築いて奮戦したというが、この真田丸を描いた数少ない図が「大坂真田丸加賀衆挿ル様子」(永青文庫蔵)だ。
大坂城最外郭の防御線惣構(そうがまえ)の南外側に張り出すようにU字状の真田丸を描く。真田丸内には「真田左衛門」(信繁)の名があり、下方には前田利常隊の武将の名前が記されている。冬の陣直後の現地調査での知見が反映された、貴重な図である。
■大坂落城の際に見つけられた伝説の刀剣も登場
大坂夏の陣では、信繁は家康本隊にまで攻めかかる奮戦ぶりを見せる。しかし、謀叛人により大坂城に火がつけられ、大坂城は落城してしまう。その混乱の最中に見出され、家康の手に渡ったのが「薙刀直シ刀 無銘(名物 骨喰藤四郎)」(京都・豊国神社蔵)だ。
もともと薙刀だったものを磨上げ、刀の寸法に仕立て直している。京都の名工・藤四郎吉光の作と伝わり、「斬る真似をするだけで相手の骨も砕け散る」という伝説から「骨喰(ほねばみ)」の号で呼ばれる。明暦3年(1657)の大火で罹災し、刃文が焼失してしまったが、越前の刀工によって再刃された。
そして、大坂夏の陣での信繁の奮戦ぶりを評した「真田日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)」という有名な文言が記された書状も、大阪会場限定で展示される。「国宝 某条書案(前欠)〔島津家文書〕」(東京大学史料編纂所蔵)がそれだ(展示期間:10月19日~11月6日)。大坂落城後に薩摩藩の島津家久が上洛し家康に戦勝の祝儀を述べたあと、その家久と見られる人物が6月11日付で国許に宛てて戦いの顛末を伝えたものである。城内で死去した人物のリストも記されており、信繁の息子・真田大助の名もある。
これらの貴重な資料を実際に見られるのは大阪会場だけ。大河ドラマの今後の予習も兼ねて、足を運んでみてはいかがだろうか。
会期/平成28年9月17日(土)~11月6日(日)
休館日/毎週火曜日
開館時間/午前9時30分から午後5時まで(会期中の金曜日は午後8時まで)
(ただし、入館は閉館の30分前まで)
会場/大阪歴史博物館 6階 特別展示室
大阪市中央区大手前4-1-32
お問い合わせ/大阪歴史博物館 06-6946-5728
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