かつて激痩せをきたした宮沢りえは
なぜ人気大物女優に成長できたのか?
摂食障害になった女性たちとの30年余りの交流の軌跡が話題の書に!
では、本人は回復後の体型をどう思っているのでしょうか。それを察するうえで、興味深いエピソードがあります。2007年に『徹子の部屋』(註2)に出たときのことです。
彼女は和服姿で、帯の絵柄が「酒盛りをする骸骨たち」という奇抜なものでした。そこで、黒柳徹子が「こんなものがあるのねぇ」と感想を言うと、
「りえにピッタリね、ってマネージャーに言われたんですけど。どういう意味かしら……って(笑)」
黒柳は「まぁ、すっきりしてらっしゃるから」とつなげていましたが、かなりハッとさせられたものです。というのも彼女、激瘦せ騒動の渦中には、
「骸骨みたい、って言われるのは、イヤです!」
と、発言していたからです。そんな人がなぜ、骸骨柄の帯をして、周囲からの「ピッタリね」という突っ込みに笑っていられるのか、少し不思議にも感じたものです。
おそらくこれは、彼女のなかに「瘦せ」へのこだわりがまだ残っていて、悪意丸出しならともかく、羨望も混じったからかいなら、むしろ、満足や安心につながるからでしょう。いわば、世間で許されるギリギリの細さ。しかも、それはメディアに美しいものと見なされ、女優としての仕事にもプラスに働いている印象です。
近年は、脂肪を減らす効果のある緑茶のCMにも出演。彼女の細さはむしろ健康的なものだ、という評価も得ているわけです。
なお、米国において、瘦せ姫の歴史を一変させたのはカレン・カーペンターでした。83年に、拒食症による心不全で32年の生涯を終えましたが、宮沢りえは40代を元気に迎えています。瘦せたままで自己実現していきたい人にとっては、ひとつの希望といえるでしょう。
(註1)『週刊女性』1995年5月2日号(主婦と生活社)
(註2)『徹子の部屋』2007年11月2日放送(テレビ朝日系)
(つづく……。※著書『瘦せ姫 生きづらさの果てに』本文抜粋)
【著者プロフィール】
エフ=宝泉薫(えふ=ほうせん・かおる)
1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』などに執筆する。また健康雑誌『FYTTE』で女性のダイエット、摂食障害に関する企画、取材に取り組み、1995年に『ドキュメント摂食障害—明日の私を見つめて』(時事通信社・加藤秀樹名義)を出版。2007年からSNSでの執筆も開始し、現在、ブログ『痩せ姫の光と影』(http://ameblo.jp/fuji507/)などを更新中。