地域で子どもたちの遊ぶ姿が見掛けられなくなって久しい。「遊び場」と「外遊び」を失った子どもたちのその後とは【西岡正樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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地域で子どもたちの遊ぶ姿が見掛けられなくなって久しい。「遊び場」と「外遊び」を失った子どもたちのその後とは【西岡正樹】

イメージ写真:PIXTA

 

◾️なぜ子どもたちが「外遊び」をしなくなったのか?

 

 早くも、夏休みが終わってから3週間が過ぎようとしていますは、子どもたちにとっては、ようやく諦めが体中に染み渡った頃です。振り返ってみれば、いつものことながら、街中で子どもたちが遊んでいる姿を見掛けることはほとんどありませんでした。しかし、このような現象は、今に始まったことではないのです。

 40年以上教育現場にいる私は、徐々に変化する子どもたちの遊び事情を見てきましたので、このような現状に大きな驚きはありませんが、遡ってみると、1990年代に入った頃から放課後や長期休みにおける子どもたちの過ごし方に、変化が見られ始めたように思います。子どもの遊び場がなくなったのが先か、それとも子どもの遊びが変化したことが先なのか、明確には分かりませんが、2000年代に入ったあたりから、地域でも子どもたちの遊んでいる姿が見られなくなりました。

 子どもたちの遊んでいる姿が地域に見られなくなるにつれて、教室の中でも子どもたちに変化が現れるようになったことを、私は憶えています。初めは具体的に感じるものはなく、「何か変だな、今までと違うぞ」そんな漠然としたものを感じていたのですが、私の中に確かな違和感がしばらく続いていました。そして、ある日のこと、授業中にその違和感が言葉になったのです。「そうか、子どもたちの反応が弱くなり、子ども同士の関係が不安定になってきたのか」と。

 地域で子どもたちの遊ぶ姿が見掛けられなくなった頃、学校でも子どもたちの「外遊び」が少なくなってきました。それに気が付いた頃には、教師が教室にいる子どもに外遊びを呼びかけ一緒に外で遊ぶようにしなければ進んで外で遊ばない、という状況に陥っていたのです。いつの間にか、大人が気付かないうちに、子どもにとって「外遊び」が面倒くさいものになっていました。

 

 私が新任教師として茅ケ崎市立鶴嶺小学校に赴任したのは、48年前1977年のことです。赴任に先立ち、同じ年の3月、私は校長面接のために初めて茅ヶ崎駅に降り立ちましたが、その時のことをよく憶えています。その頃の茅ヶ崎駅は駅ビルもなく平屋の小さな駅でしたが、その割には長く感じるホームが東西に伸びていました。また、周りには高いビルも少なく、「湘南」という垢ぬけた響きに反したその静けさとその駅の小ささに、私はちょっと拍子抜けしたものです。

 駅で調べてみると、駅から目的地の鶴嶺小学校まで案外近く、2㎞もない距離でした。そこで、私は歩いて学校に向かうことにしました。当時の「エメロード」は今のようにレンガ張りの道ではなく、特徴のない狭い商店街でした。その名が「エメロード」だというしゃれた名前だということを後で知ったのですが、そのしゃれた名前の商店街を北西に進み、「十間坂」(じゅっけんざか)の交差点を斜めに渡り、「肥地力」(ひじりき)まで歩きました。

 途中の「千の川」は本当に汚かった。覗き込むと、下はヘドロの川です。その匂いが鼻を刺激したのを憶えています。さらに北へ歩き続け、「肥地力」の交差点を左折しました、その時です、そこに思いがけない光景が目の前に現れたのです。一気に空が広がり、見えるところまで続く田園風景は、透き通った青空の下にあり、その背後に富士山が浮かんでいました。

 その光景を前にして私は声が出ません。「良い所に来たな!」そんなありきたりな言葉が私の頭の中でテロップのように流れていきます。数軒の家が不揃いに並び、その向こうに広がる田はレンゲ草に覆いつくされていました。その田園は今まで見たことのない鮮やかな富士山を背景にしたのです。そのような景色を正面に見ながらさらに歩みを進めると、松並木が間近に見えてきました。

 「そうか、これが鶴嶺神社の参道か」

 無意識に発せられた言葉が耳元を過ぎていきます。田園風景と富士山、それに参道の松並木が重なるとそれはもう絵葉書です。このような環境の中にある学校に勤められる幸せを、私は大袈裟に感じながら鶴嶺小学校に向かいました。

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西岡正樹

にしおか まさき

小学校教師

1976年立教大学卒、1977年玉川大学通信教育過程修了。1977年より2001年3月まで24年間、茅ヶ崎市内の小学校に教諭として勤務。退職後、2001年から世界バイク旅を始める。現在まで、世界65カ国約16万km走破。また、2022年3月まで国内滞在時、臨時教員として茅ヶ崎市内公立小学校に勤務する。
「旅を終えるといつも感じることは、自分がいかに逞しくないか、ということ。そして、いかに日常が大切か、ということだ。旅は教師としての自分も成長させていることを、実践を通して感じている」。
著書に『世界は僕の教室』(ノベル倶楽部)がある。

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