地域で子どもたちの遊ぶ姿が見掛けられなくなって久しい。「遊び場」と「外遊び」を失った子どもたちのその後とは【西岡正樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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地域で子どもたちの遊ぶ姿が見掛けられなくなって久しい。「遊び場」と「外遊び」を失った子どもたちのその後とは【西岡正樹】

 

◾️「サバイバル徒歩旅」とは

 

 私の「サバイバル徒歩旅」とは(今思うと、よくこんな計画を立てたなと思いますが)、次のようなものです。我々の通う茅ケ崎市の柳島小学校から伊勢原市の日向キャンプ場(日向薬師をさらに登る)までのおよそ22㎞を自分の足で踏破し、次に子どもたち自らがテントを張り、その夜は自炊し、さらにキャンプファイヤーをして楽しみ、そうして翌朝、再び朝食をつくり食べて帰るという、子どもにとってはサバイバルなものです。(現在のような学校を取り巻く状況では絶対に計画できませんが、その当時の子どもたちや保護者との関係ならばできると判断した結果です)

 5年生になって早々(5月か6月の初め)だったと思うのですが、私が子どもたちにその計画を打ち明けると、「やりたい」という子どもたちの声が教室を圧倒しました。そして、その勢いを力に、恐れ知らずにも程があるのですが、私は保護者会でその計画を伝えたのです。さらに、とんでもないことですが

 「この計画は私と子どもたちだけで実施します」

と断言したのですから、今流で言えば「やばい教師」です。中には不安な子や心配でやらせたくないと思った保護者の方もいたでしょうが、子どもたちからも保護者からも、その声が声高に発せられることはありませんでした。(今なら様々な声が湧きあがるでしょう)

 

 真夏の22㎞の徒歩旅は、大人でも容易ではありません。今のように猛暑日ではないにしろ、真夏の日中、30℃に達しようかという道(体感温度はさらに高い)を歩くのです。私自身は年齢がまだ36歳ということもあり、体力にはいささか自信はありましたが、

 「子どもたちが22㎞を歩き通すことができるのか」という不安は常にありました。また、

 「参加する大人は私1人です」

 勢いで啖呵を切ったものの、このことについても不安は大きかったのです。

 そんな中、「現実的に40人以上のクラスを1人で仕切るということはどういうことなのか」をシュミレーションしてみました。すると、「1人で40人は無理だな」という結果にようやく至ったのです。そこで、計画の見直しを行ったのですが、私は「自分と子どもたちだけでやり切る」に固執していたのでそれは譲れず、クラスを2つに分けて「サバイバル徒歩旅」を2回実施することにしたのです。(これも完全に勢いですね)私は22㎞の距離を2回歩く覚悟を決めました。(キャンプに必要な道具や食料は前日に車で私と協力してくれた保護者で運んだ)

 実施に当たり、私は次の事を子どもたちと約束しました。

 

・この計画を自分たちの力でやり通す(先生は付添人)

1人でも歩けなくなったら歩きは中止、交通機関を使って目的地まで行く

・病気になったら親に迎えに来てもらう

(以上のことは保護者の了解を得た)

 

 先発隊は柳島小学校から日向キャンプ場までのおよそ22㎞を踏破し、テントを張り、自炊してカレーを作り、キャンプファイヤーを楽しみ、そして、順調に就寝までスケジュールをこなすことができました。ところが、その夜中に思わぬ事態に遭遇したのです。明け方近くに突然襲ってきたゲリラ豪雨によりテント自体が浮きあがり、子どもたちの

 「先生、テントが浮かんでいる」

という声に飛び起きると、なんと近くの小川が氾濫しそうになっているではありませんか。私は小川の中に飛び込み丸木橋を両手で支えることで、子どもたちは無事に小川を渡ることができました。思い起こしてみてもあれ程肝を冷やしたことは、その後の教育活動で経験することはありませんでした。

 「あんな真剣な目をした先生を初めて見た」

という危機を乗り越えた女子の言葉は、私以上に冷静でした。

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西岡正樹

にしおか まさき

小学校教師

1976年立教大学卒、1977年玉川大学通信教育過程修了。1977年より2001年3月まで24年間、茅ヶ崎市内の小学校に教諭として勤務。退職後、2001年から世界バイク旅を始める。現在まで、世界65カ国約16万km走破。また、2022年3月まで国内滞在時、臨時教員として茅ヶ崎市内公立小学校に勤務する。
「旅を終えるといつも感じることは、自分がいかに逞しくないか、ということ。そして、いかに日常が大切か、ということだ。旅は教師としての自分も成長させていることを、実践を通して感じている」。
著書に『世界は僕の教室』(ノベル倶楽部)がある。

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