福田和也という人物と仕事をした5年間の記憶【適菜収】
【隔週連載】だから何度も言ったのに 第72回
2024年9月20日、文芸評論家の福田和也氏が急性呼吸不全で死去した。その影響力は大きかったのだろう。SNSは追悼の言葉であふれた。朝日新聞デジタルは、「保守の論客、テレビでも活躍」との見出しで報道。これに違和感を覚えた人のツイートもあった。「たしかにそういう時代だなとはいえ、いささか不憫な感じは否めないな」と。「テレビでも活躍」ねえ……と。新刊『自民党の大罪』(祥伝社新書)で平成元年以降、30年以上かけて、自民党が腐っていった過程を描写した適菜氏の「だから何度も言ったのに」第72回。
■『CIRCUS』の連載「揚げたてご免!!」
文芸評論家の福田和也が亡くなった。享年63。敬意を込めて敬称は省略する。最後にお会いしたのはいつだったか覚えていない。文章をあまり発表しなくなる前だから、多分10年以上経つ。
*
もしかしたら新宿のバー「猫目」かもしれない。扶桑社の編集者たちとテーブル席に座っていた。軽く会釈して、カウンターに座ると横に康芳夫さんがいたので話をした。しばらくしてふと振り向くといなくなっていた。
*
初めて「福田和也」という名前を知ったのは『噂の真相』の記事を大学生の頃、読んだときかもしれない。これも大昔のことなので曖昧な記憶しかない。
*
アルバイト先の社長が福田の知人だったので、何回か顔を合わせるようになった。もちろん込み入った話をすることは一度もなかった。
*
1999年に『罰あたりパラダイス』(扶桑社)が出版されたとき、青山ブックセンター本店で刊行記念イベントがあり、見に行った。なお、ネットで検索したが関連の話が出てこないので、一部私の記憶違いの可能性はある。最初に座談会のようなものがあった。 島田雅彦さん、さかもと未明さん、もう一人は誰だったか覚えていないが、康さんかもしれない。
*
座談会の後、第二部で福田は上半身裸に黒いベストを着て、ギター
*
その頃、六本木のイタリア料理店「ラ・ゴーラ」で何回か福田に会った。当時、福田は友人でシェフの澤口知之さんについてよく書いていた。私は友人が少ないが、澤口さんとはよく一緒に飲み歩いていた。千駄木のバーにもよく行った。その澤口さんも死んでしまった。
*
福田とは結局5年間、毎月会うことになる。2005年、KKベストセラーズの『CIRCUS』という雑誌で、「揚げたてご免!!」という対談(相手は石丸元章さん)の連載がはじまる。月に一回、トンカツ屋に集合し、トンカツを食べながら対談する。私はそれを記事にまとめた。おかげで東京のトンカツ事情にはかなり詳しくなった。東京だけではない。遠いところだと、長野県の上田市にも行った。
*
福田にはトンカツについていろいろ教えてもらった。今でもトンカツはよく食べる。福田の訃報を聞く直前には、浅草の「ゆたか」でロースかつ定食を食べていた。その翌日には、池袋の「二矢」で上ロース定食を食べた。なかなかおいしい。
*
対談の際も私はトンカツに夢中になっていたので、テーマについて口を出したり、議論することはほとんどなかった。福田と意見が一致することもほとんどなかった。特に政治家に対する評価はほぼ真逆だった(たとえば石原慎太郎や安倍晋三)。だから福田には「面倒くさいやつ」「いけ好かないやつ」と思われていたかもしれない。私は追従する空気が嫌いだったので、失礼なことも何度か言った。でも、「仕事仲間」ということでぎりぎり許されていたのだろう。
*
問題はこの「仲間」という言葉である。福田を貫いているように見えたのは、仲間意識である。仁義を重視する。一度仲間と認めた人間は最後まで守る。教員として学生の面倒も最後まで見る。たまにそれが、仲間に対する甘い評価につながるように見えて私は不満だった。福田は任侠映画やマフィア映画について語ることが多かったが、それも同じ文脈なのだろう。私は任侠やマフィアの論理が大嫌いだった。
*
福田が編集者を評価するときも、「あいつは著者を裏切らないからな」みたいな言い回しをする。2016年、福田と講談社の原田隆さん(私の担当編集者でもあった)らが香港に行ったが、渡航先で原田さんは脳出血を起こし死んでしまった。澤口さんが死んだのが2017年、坪内祐三さんが死んだのが2020年。私も原田さんと澤口さんが死んだときは相当堪えたので、福田はもっとキツイだろうなと当時思ったものだ。
- 1
- 2
KEYWORDS:
✴︎KKベストセラーズ 好評既刊✴︎
『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』
国家、社会、組織、自分の将来に不安を感じているあなたへーーー
学び闘い抜く人間の「叡智」がここにある。
文藝評論家・福田和也の名エッセイ・批評を初選集
◆第一部「なぜ本を読むのか」
◆第二部「批評とは何か」
◆第三部「乱世を生きる」
総頁832頁の【完全保存版】
◎中瀬ゆかり氏 (新潮社出版部部長)
「刃物のような批評眼、圧死するほどの知の埋蔵量。
彼の登場は文壇的“事件"であり、圧倒的“天才"かつ“天災"であった。
これほどの『知の怪物』に伴走できたことは編集者人生の誉れである。」