49歳“大巨人”石川修司が「今が全盛期」と語る理由。身長195cm、体重130kgのレスラー
プロレスラーとは、今も昔も「デカい」イメージがあるだろう。ジャイアント馬場は、リングネームの通り身長2m9cmの巨体。アントニオ猪木も190cmあった。最近は小柄でも活躍するレスラーが増えてきている中、そんな「デカくて強い」プロレスラーの変わらぬ王道を体現するのが石川修司である。身長195cm、体重130kgの巨体を揺らし、リング上を暴れまわる。DDTプロレスでデビューし、ユニオンプロレス、フリーランスを経て全日本プロレスに入団。エンタメ系からデスマッチと様々なプロレスを経験してきた。当サイトでも以前インタビューした全日本プロレスの「暴走専務」こと諏訪魔とタッグを組み、プロレス大賞3年連続最優秀タッグを獲得するほどの実力を誇る。サイン会を開けば必ず行列ができ、人気も申し分なし。そんな石川にプロレスラーとして進んできた道やフリーランスとしての心構えを聞いてきた。
■憧れはジャンボ鶴田。でも「プロレスラーになれる訳ない」と思っていた
岩手県奥州市に生まれた石川が、プロレスを知ることになったのは祖母の影響からだ。子どもの頃、プロレス好きの祖母と一緒に毎週観戦していた。
「当時好きだったのはジャンボ鶴田さんですね。でも、プロレス中継がゴールデンタイムからなくなると熱は冷めていきました。子どもの頃はプロレスラーになりたいなんて思ったことありませんでしたよ」
そんな石川が再びプロレスに引き寄せられたのは高校に入学してから。柔道部にいた一つ上の先輩・佐々木貴に出会ったことがきっかけだった。名前を聞いてピンときた人もいるだろう。そう、プロレスリングFREEDOMSの代表取締役社長で現役のプロレスラーであるあの佐々木貴だ。当サイトでもインタビュー取材を引き受けてくれたことがある。
佐々木、そして同級生にもプロレスファンがいて、プロレスに囲まれた高校生活だった。
ただ自身がプロレスラーになれるとは思っていなかった。「実際には無理だろうと。当時、プロレスラーになることができるのは選ばれた人たちというイメージ。僕は柔道部で県大会出場程度でしたので」と語る。
大学入学を機に上京したものの、在学中特にトレーニングをしていたわけでもない。大学卒業後は普通に就職して会社員に収まっていた。しかし、「彼がいなかったらプロレスラーになってないと思います」と語る佐々木貴の名前を雑誌で見かけ刺激を受けた。
「プロレス雑誌を読んでいたら佐々木さんがプロレスラーになっていたのを知ったんです。それで、自分も興味を持つようになりました」
そこから石川は、佐々木の伝手でDDTプロレスの入門テストを受ける。一度は不合格になるも、当時の社長が石川の社会人経験を買って、仮練習生として採用してくれた。トレーニングをしながら会計や受付業務をする生活を過ごすことになる。
「合同練習に参加しながらお金の計算とかしていたんですけど、なんか楽しかったですね。非日常の世界に足を踏み入れたという感じがしました。でも、そのときはガツガツした気持ちは薄かったと思います」
そんな中でも無事に27歳でデビューを飾り、後に「大巨人」と呼ばれる男のレスラー人生がスタートした。