スイス・アルト=リギ鉄道平坦線【前編】廃線をしのぶ「電車みち」
ぶらり大人の廃線旅 第5回
異形の断面-ミューレフルー隧道
やがて目の前に小山のような高まりとトンネルが見えてきた。宿の奥さんが言っていた「高い」というのは来てみるとその通りで、やけに天井の高い異形の断面をもつトンネルがそこにあった。天井こそセメントで固めてあるが側面は半ば素掘りで、小石を多数含んだ砂礫層が露出していた。地形図で確認すると、北に聳えるロスベルクRossbergからここまでは扇状地または崖錐(がんすい)のようなスロープになっており、山上から供給された砂礫(供給などといった生やさしいものでなかったのは後ほど判明)が堆積した後で傍らを流れる川の侵食作用が段差を作り、トンネルを掘ることになったのだろう。トンネルの名はミューレフルー・トンネルMühlefluhtunnelというが、Fluhはスイス・ドイツ語で「崖」を意味するので、粉挽き崖。手前を流れるリギアー川Rigiaaに水車でも懸けたのかもしれないが、なるほど地形とは合致している。
トンネル入口の手前にはアルト町役場が掲示した解説があり、およそ次のように記されていた〔 〕は引用者注。
014 トンネル アルト町
1875年 アルト=リギ鉄道によって竣工。アルト~オーバーアルトOberarth間は粘着式〔歯軌条でない普通の方式〕、そこからリギ=クルム終点までは歯軌条式の鉄道として運行された。
1882年 ゴットハルト鉄道〔現国鉄〕の経路が〔予定されたオーバーアルトを通らず〕ゴルダウ〔現アルト=ゴルダウ〕に駅が設けられたため、粘着式区間をそこまで延長した。しかしこの区間の平坦線化に際してトンネル付近の急勾配を緩和するため、トンネル内の路盤を1.5メートル切り下げた結果、特異な高い断面のトンネルが誕生した。
1959年 平坦線のアルト~ゴルダウ間はバスに転換され、トンネルは今に至るまで歩行者道路として使われている。
なるほど、これで「欧州一高いトンネル」の謎が解明されたが、アルト~オーバーアルトの間はゆっくり歩いても20分少々なのに、わざわざ平坦線と登山線(歯軌条)を分けたのは不可解だ。
蒸気船から接続してリギ山頂へ
それはともかく、アルト=リギ鉄道について簡単に説明しておこう。同鉄道は、チューリヒからの観光客がツーク湖の蒸気船から上陸するアルトの港を起点としてリギ山に至るもので、この鉄道が計画された当時は鉄道がチューリヒからツーク湖北岸のツークZugまでしか通じていなかったため(ツーク行きの列車〔ツーク〕があったわけだ!)、そこから蒸気船で湖の南端にあるアルト港へ到着、アルトからは登山鉄道でリギ山へというルートが想定されていた。
最初のアルト~オーバーアルトOberarth間の1.4キロのみは平坦地を走る蒸気機関車が牽き、そこから終点までの約7キロは急勾配なのでリッゲンバッハ式の蒸気機関車に付け替えるシステムで、客は乗り換えせずに山頂へ上ることができた。現代的な感覚だと、そんな面倒なことをせずに最初の1.4キロもリッゲンバッハ式機関車に牽かせて機関車交換なしで行けそうに思ってしまうが、平坦線を走る機関車が時速21キロ出せたのに対して、当時のリッゲンバッハ機関車はわずか時速9キロというから、やむを得ない選択だったのだろう。
これらの詳細は、『アルト~ゴルダウの平坦線』(Talbahn Arth-Goldau)という本に教えてもらった。この本は廃線歩きを終わった後に、現役のアルト=リギ鉄道に乗って頂上一歩手前のリギ=シュタッフェルRigi Staffel駅まで歩いた際、たまたまそこの売店を覗いたら見本として陳列してあった最後の1冊である。しかも表紙が色褪せしていたので割り引いてくれた。同書によれば、路盤を掘り下げたトンネルの高さは6メートルで、この時にトンネルからゴルダウ駅までの勾配は70~80パーミルを50~65パーミルに緩和されたという。
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