リングでは包丁に身を投げ、家では愛娘に身を捧ぐ。狂ったデスマッチファイター・竹田誠志の純な生き様
■まず総合格闘家の世界へ飛び込んだ理由
高校卒業後に進学した調理師の専門学校は無事に卒業、調理師免許を取得した。しかし竹田は危機感を持っていた。
「この1年で体力作りをしないとな、と思っていたんです。そうしたら、町田にU-FileCAMPがあるって聞いたんですよ。何もしないで過ごすより、格闘技の技術を吸収するのもいいなって思って。U-Fileの選手はプロレスも出ているから、レスラーになるきっかけができたらいいなって思って入会したんです」
U-FileCAMPとは、総合格闘技の原点の一つであるUWFに所属していた田村潔司が立ち上げたジムである。デスマッチファイターは一人もいなかったが、総合格闘技の技術は将来の夢のためにも生きる、と踏んでここに通った。
「入ったときから『デスマッチやるんで、ここで1年技術学んだら辞めます』と周りには言ってました」
ジムに入会した竹田はレスリングの下地があったからか、技術の吸収が早くメキメキと頭角を表した。そして、ジム生の指導をしていた上山龍紀(※4)から練習生にならないか、と誘われた。
「練習生になるとジムの会費がタダになるし、プロデビューもできるよって言われたんです。当時は学生でお金がなかったから会費タダならいいかと思って引き受けたら、次の日から雑用開始でした(苦笑)」
ジム生から練習生になった竹田を待っていたのは、息つく暇もない日々であった。ジムが始まるのが夕方6時。鍵を開けるのは竹田の役目だ。それから練習がスタート。終わったら受付、掃除、洗濯をして一日が終わる。それを平日の4日こなし、土日はプロ練習をこなしていく。
「上山(龍紀)さんは、下を育てたいと話していたんです。それで僕に『格闘技の大会出てみないか』と声をかけてくれて、アマチュアとかセミプロの総合格闘技大会に出場させてくれました。それで、ZST(ゼスト)という団体のリーグ戦で勝ち抜いて、プロデビューすることになったんです」
竹田がアマチュアの大会に出ていた頃、世は「総合格闘技ブーム」真っ只中。グレイシー一族や桜庭和志、ミルコ・クロコップなどが活躍しており、大晦日のテレビは、民放3局が総合格闘技大会の中継を行うほどであった。
「その頃、頭の中から『プロレス』の文字が消えかけていたんです。でも、自分の心の中にはデスマッチがありました。練習の合間を縫ってデスマッチの試合をチェックしたり、会場に試合を見に行ったりしていました。本当にね、(デスマッチをやる)チャンスがなかった。総合(格闘技)の練習ばかりだったんで、総合格闘技の選手みたいになっていたし、デスマッチからどんどん遠のいてましたね」
デスマッチファイターになりたくてU-Fileの門を叩くも、憧れていた舞台からどんどんと遠のいていった竹田。しかし彼は決して諦めなかった。
※4:UWFインターやリングスで活躍したプロレスラー・総合格闘家。U-File時代には全日本プロレスにも参戦した経験を持つ。K1やPRIDEのリングにも上がった。