リングでは包丁に身を投げ、家では愛娘に身を捧ぐ。狂ったデスマッチファイター・竹田誠志の純な生き様 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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リングでは包丁に身を投げ、家では愛娘に身を捧ぐ。狂ったデスマッチファイター・竹田誠志の純な生き様

■フリーランスよ。とにかく自己プロデュース力を磨け

▲9月15日プロレスリング・FREEDOMS横浜武道館大会のメインで激闘を繰り広げた竹田

 フリーランスでもプロレス界、デスマッチの未来を考えて発言するのが竹田の魅力でもある。9月15日、プロレスリング・フリーダムズ横浜武道館大会でメインイベントに登場した竹田は、若いレスラーへ「もっと必死になってやれよ!」と激を飛ばした。

 大仁田厚の“電流爆破”から始まったデスマッチは、松永光弘、本間朋晃(※8)、葛西純といった選手たちが歴史や思いを積み重ねてきた。竹田は、その重みを知っており、自らもデスマッチで思いを伝えてきた。

 「試合のオファーがこなければ終わり」という厳しい世界で、竹田自身は死なないように、常に気を張ってきた。そのために「自己プロデュース」の大切さを強調する。

「やっぱり僕らは一試合一試合いい試合をしないとオファーは来ないし、試合がないとファイトマネーがもらえない。だから自己プロデュースが大切ですよね」

 竹田のトレードマークである巨大なハサミもそうだ。

 きっかけは、竹田がデスマッチの凶器として作ったハサミボードで相手選手が大怪我をしたことだった。そんな凶器を作った竹田へ批判が集中した。

「これを逆手に取ったら、すごい反響があるんじゃないかと思ったんです。ハサミを凶器に使って『おかしい人』と思われたらいいなって。デスマッチで『おかしい』は褒め言葉ですから。人と違うことをやるのが大事ですしね」

 こうして竹田は自らへの批判を武器に変えてしまった。かつては「葛西純のコピー」と揶揄されたこともあったが、このハサミでそんなイメージは吹き飛んだた。これぞフリーランスレスラーの生き残り術であろう。

 竹田は現在、地元町田でプロレスイベントもプロデュースしたり、ライブハウスでデスマッチを開催したりと、プロレスを広く届けるべく動いている。リングの上だけでなく、プロデューサーとしての顔ものぞかせながら自らの存在価値を高めているところだ。

■「生きているうちが花」死と隣り合わせの男が伝えたいこと

 最後にこのプロレスラーインタビュー企画恒例、本人より一回り上ではあるが氷河期世代へのメッセージをお願いしてみた。

「座右の銘じゃないけど、思っていたら夢は叶う。僕はそう思うんです。でも、思っているだけじゃなくて、何か行動してみたら失敗しても何か開ける。夢があるけど迷っている人は、取り敢えず『やってみる』ことじゃないかなと思います。

 僕は妻が急死したので身近で『人の死』というのを感じました。だから『生きているうちが花』だと思っています。だって生きていないと何もできないじゃないですか。本当に生きているうちに一日一日を大事にして、好きなことをやったほうがいいよと伝えたいですね」

 「総合格闘技から生まれたデスマッチファイター」という唯一無二の道を歩んできた竹田誠志。途中で忘れてしまっても、夢を思い出して行動をし、願いを自らの手で掴んできた。彼は今日も一歩ずつ、頂点に向かって足を踏み出していく。そして愛する娘のためにリングへ上がり続ける。

※8:新日本プロレス所属のプロレスラー。大日本プロレスでデビューし、デスマッチ新世代として注目を集めた。大日本プロレス退団後は、全日本プロレスを経て新日本へ移籍をした。試合中のラリアットで声帯が潰れたハスキーな声を生かして、テレビ番組にも出演している。

取材・文:篁五郎

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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