「どうしてここまで陰謀論が蔓延るのか」ネットリンチは生贄の儀式【仲正昌樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「どうしてここまで陰謀論が蔓延るのか」ネットリンチは生贄の儀式【仲正昌樹】

 新約聖書の三つの共観福音書に、イエスによる悪魔祓いの話が出てくる。悪霊に憑依されて墓場に住みつき、裸で歩き回り、昼夜大声で叫びながら、自分の体を石で切りつける男がいた。イエスは男に取り憑いている悪霊に呼びかけ、名前を訊ねたところ、「レギオン legion」――「軍団」あるいは「群衆」を意味するラテン語〈legio〉のギリシア語形、――と答えた。イエスが自分(たち)を地獄に送り返すことを恐れた「レギオン」は、その代わりに、近くにいた豚たちの中に送り込んでくれるよう懇願した。イエスがそれを許可すると、「レギオン」は二千頭ほどのの群れに取り憑き、その結果、豚たちは暴走し、断崖から落ちて、溺れ死ぬ。

フョードル・ドストエフスキー(1821−81)。ロシア帝国の小説家・思想家。

 

 「穢れ=悪霊」祓いをめぐるこのエピソードには、様々な解釈が可能である。ドストエフスキー(一八二一-八一)は、該当するルカによる福音書の箇所をエピグラムに掲げた小説『悪霊』(一八七一)で、地方都市で結成された革命家の小サークルが様々な混乱を引き起こし、内部分裂・殺人によって自滅していく過程を描くことで、悪霊的なものが人々の間に感染症のように広がり、お互いに対して疑心暗鬼にして滅亡へと追い込んでいく可能性を暗示した。誰がエクソシストで、誰が祓われる対象で、両者はどうやって客観的に見分けられるのか、悪魔祓いが逆効果になるのではないか、といった問題も提起されている。 

 クリスチャンの立場からすれば、イエスによる「祓い」は一応成功だったと見るべきだろうが、悪霊というものの性格から考えて、豚の腹に入って悪霊たちが、豚と共にもう一度“死ぬ”とか、海底でおとなしく眠りについてくれるとは考えにくい。再び暴れ出すのではないか、と思えてくる。そもそも、その地を荒らしていたのは、一人の男に憑いていたレギオンだけだったのか、豚を犠牲にすることで、(本人も罪を犯した)男が救われるというのは都合よすぎないか、といった疑問も浮かんでくる。悪霊祓いが一時的な措置にすぎず、祓われた悪霊たちはますます荒れ狂い、最後は、イエス自身が我が身を犠牲にせざるを得なくなった、という反キリスト教的な穿った解釈も可能だろう。

 私には、統一教会を、穢れを背負った犠牲獣として抹殺する、あるいは追放するという措置は、結局「レギオン」を分散させ、小説『悪霊』のような方向に日本を向かわせるのではないか、という嫌な予感がしている。無論、自民党にも統一教会にも問題がある。どうしようもない組織なら消滅するのはやむを得ないだろう。しかし、「穢れ」そのものではない。陰謀論によって全ての穢れの根源である“裏の組織=巨悪”を作り上げ、悪霊消滅の儀式を行うのは、危険だ。多くの人が穢れを祓う儀式による瞬間的な解放感の味をしめると、うまく行かないことがあるたびに、国民的リンチの対象が狩り出されることになるからだ。

 

文:仲正昌樹

 

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仲正 昌樹

なかまさ まさき

1963年、広島県生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し、自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。最近の主な著書に、『現代哲学の最前線』『悪と全体主義——ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』『ハイデガー哲学入門——『存在と時間』を読む』(講談社現代新書)、『現代思想の名著30』(ちくま新書)、『マルクス入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』(作品社)、『思想家ドラッカーを読む——リベラルと保守のあいだで』(NTT出版)ほか多数。

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