経営者がこぞって座右の銘にあげる名言中の名言
ーー山本五十六の言葉
【連載】「あの名言の裏側」 第5回 山本五十六編(1/4) 卓越したバランス感覚を持った軍人
苦しいこともあるだろう。
云い度(た)いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度(た)いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修業である。
──山本五十六
これは、旧日本帝国海軍の将校・山本五十六氏の言葉です。「男の修業(修行と表記される場合も)」というタイトルとともに紹介されることもあります。
含蓄のある言葉を数多く残した山本氏は、名言愛好家(?)界隈でも非常に人気が高く、なかでも「男の修業」は山本氏の箴言で一、二を争うほどファンの多いもののひとつ。経営者などビジネスパーソンが座右の銘として挙げることも少なくありません。
今回から4回、軍人・山本五十六氏の名言に触れながら、その魅力について掘り下げていこうと思います。
山本五十六氏は、1884(明治17)~1943(昭和18)年を生きた、エリート将校。1939年8月~1943年4月にかけて、26、27代の連合艦隊司令長官を務めました。太平洋戦争では、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦の作戦立案、指揮に当たったことで有名です。
そう聞くと、軍国主義に染まったゴリゴリの軍人をイメージしてしまうかもしれませんが、実は山本氏、最後までアメリカとの戦争に反対していた希有な将校でした。軍国主義路線で暴走する陸軍一派と対立し、中国侵攻や日独伊三国同盟にも反対していた山本氏。「負けることが明白な戦争をするヤツがいるか!」と、太平洋戦争の回避に尽力したのですが、その甲斐もなく、日本はアメリカとの戦争に突入してしまいます。そこで山本氏が選択した方向性が「いかに負けるか」というもの。「より良き敗戦」を目指して、どうすれば日本という国が生き残っていけるかを、常に念頭に置いて行動していたといわれています。
若いころにはアメリカのハーバード大学への留学も経験し、在アメリカ日本大使館付きの武官を務めたり、イギリスでの軍縮会議に出席したりなど、豊かな国際経験を持っていた山本氏。欧米列強の外交力、軍事力を十分に理解していただけに、軍国主義化を加速させる日本陸軍の暴走を認めることができませんでした。当然、陸軍一派からは煙たがられる存在となり、山本氏の周囲の人々は「暗殺されてしまうのではないか」と気を揉んだそうです。
作戦立案やその遂行においても、根性論や神頼みを嫌い、合理性や論理性を重視するスタイルを採り続けました。その一方で、情に厚く、面倒見のよい“頼れる父・兄”という横顔を持ち、求心力も抜群な好人物でした。
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