“本を書けない著者”を救う「ブックライター」という仕事。「ゴーストライター」批判はお門違いだ!【加藤純平】
■「読者を欺く」のがゴーストライター
ただし、ゴーストライター批判を受けても仕方ないパターンは存在する。
それは、著者のエッセンスがカケラも含まれず、ブックライターが内容をゼロから創作してしまっている作品だ。表紙に著者の名前こそ大きく掲げられているが、蓋を開けて見れば、どこかのベストセラー本で見たような内容ばかり。いわば「名義貸し」のような状態だ。
こういった看板に偽り“あり”の本が、批判を招くのは当然である。
実は、ブックライターの有無は簡単にわかる。本の「奥付」と呼ばれる最終ページに書いてあるからだ。そこには映画のクレジットのように制作スタッフの名前が記載されている。「編集協力」や「構成」として名前が載っているのがブックライターだ。あるいは、あとがきの謝辞に登場したり、目次に名前が載るパターンもある。
一方で、第三者がライティングしているのにかかわらず、著者以外の名前が明記されていない本も存在する。これでは、読者は「ライティングをしたのが著者本人かブックライターか」を知るすべがない。
それはまるで、SNSの広告案件を「#PR」ナシで投稿する、いわゆるステマのようなものだと思う。これまた読者を欺いていると言われても反論は難しく、ゴーストライター批判を出ても仕方がない。
あるいは「俺は〇〇のゴーストだ!」といった感じで、著者そっちのけで自分の存在をアピールする業界人もいる。ただ、ブックライターはバーテンダーのようなものだと書いたが、あくまでお酒(=著者の考え)を届けるための媒介者。必要以上に前に出る必要はないと思う。ブックライターはあくまで黒子であるべきだ。文章の中でも、本が世に出たあとでも、自分の「我」を前面に出すのは望ましくない。承認欲求は、自分自身で上手に処理しないといけない。私の場合は、自分の名前がクレジットされた本が書店で平積みされている光景を見るだけで、その承認欲求はしっかりと満たされる。
ゴーストライターなのであれば、幽霊役に徹し、その事実は公言せず、それこそ墓場まで持っていくべきだ。そんなものが存在するかしらないが、それが「ゴーストライターの矜持」だろう。
いずれにせよ、こうした行動は「ブックライター=悪」という誤解を助長し、真っ当にやっているブックライターのイメージに泥を塗っている。
■あなたの「大切な一冊」もブックライターが書いている
結局、ブックライターとは文章のプロであり、著者のメッセージを整理し、わかりやすく伝えることを使命にしている。
そして「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤しながら日々文章と向き合っている。
それは、著者の思いを一人でも多くの人に届けたいという思いが、そうさせるのだ。ブックライターは読者に寄り添う存在であり、決して読者を欺こうなどとは考えていない。ゴーストライターとは似て非なるものだ、と声を大にして言いたい。
矢沢永吉さんの『成りあがり』は糸井重里さんが聞き書きで執筆した一冊だ。養老孟司さんの『バカの壁』も、担当編集者が聞き書き形式でまとめ上げた。
こうした大ベストセラーの陰にも、ブックライターの存在がある。
あなたの本棚には、実はブックライターが文章を書いている作品が並んでいるかもしれない。そして、ゴーストライター批判をしている人にとっての「影響を受けた一冊」や「手放せない愛読書」がそうである可能性も十分にあるのだ。