週刊文春の「名誉毀損ビジネス」を糾弾する【村西とおる】
『ありがとう、松ちゃん』より
性加害報道によって名誉を毀損されたとして、松本人志が「週刊文春」の発行元である文藝春秋社を今年1月に提訴してから約10カ月。今月8日に松本側が訴えを取り下げ、両者の争いに一区切りがついた。しかし、「ありがとう、松ちゃん」応援委員会発起人の村西とおる氏の文春に対する怒りは収まらない。「『文春砲』なる『表現の自由』に名を借りた、著名人をターゲットにした『書いたモン勝ち』の活字テロがいつまで許されるのか」と『ありがとう、松ちゃん』(KKベストセラーズ)への寄稿でも一刀両断。過去の“被害者”の実例も紹介しながら、文春の「名誉毀損ビジネス」を糾弾した。同書よりダウンタウンとの知られざる出会いも記された村西氏の寄稿を特別配信する。
■吉本興業の東京進出と木村政雄常務の依頼
松本人志氏との最初の出会いは1980年代後半と記憶しています。その当時、吉本興業東京進出の陣頭指揮をとっていた木村政雄常務から、イエローキャブの野田社長(現サンズエンタテイメント会長)を通して「会いたい」との御連絡を賜ったのです。事務所は赤坂乃木坂近くの小さいビルの一室にありました。机3つを置けばあとは身の置き所のない程の狭さで息苦しく、ここでは満足にお話を承ることができないと、ビルの一階のカフェテラスに場所を移し、面談となったのです。
ご用件の内容は「1980年吉本興業が東京に進出してから、さしたる成果が上がらず鳴かず飛ばず状態なので、ここで〞秘密兵器〞を送り出し勝負をしたい、ついてはそのプロモーションビデオを撮って欲しい」とのお申し出でした。「秘密兵器」とは、その頃関西で爆発的人気を獲得していた「ダウンタウン」のことです。が、女性専科のエロ事師にとって「男性」などは門外漢のことで興味もなく「任にあらず」と固辞いたしました。が、木村常務は諦めることなく「是非ともお願いしたい」と頭を下げられたのです。
吉本興業の屋台を背負って一人東京で奮闘されていた木村常務の存在はメディアを通して広く知れ渡り、その独特な存在感は異彩を放っていました。その方に眼前で「頼む」と乞われれば断るわけにはいきません。及ばずながらとPV撮影をすることを承諾させていただいたのです。
■浴室撮影で全裸になったダウンタウン
ダウンタウンのお二人には全裸となっていただき、ホテルの浴室でのシャワーシーンからスタートしました。「AV女優でもあるまいし、なんでワシらが全裸となりシャワーを浴びなきゃならんのや」との反発を喰らうのでは、と危惧しましたが、私は好きなように撮れないのならそれはそれでいい、撮影中止もやむを得ない、と腹を括っていました。が、ダウンタウンのお二人は違いました。一言半句も文句を口にすることなく、求められるままに真摯にセクシーにシャワーシーンを演じられたのです。ひたむきに真っすぐに突き進む魂の気迫といったものが伝わり、さすが木村常務が「秘密兵器」と入れ込むだけのことはある、と心揺さぶられると同時に、この2人なら将来吉本興業のみならず、日本のお笑いを担って立つ一翼になるに違いないと確信したのです。
完成したPVは「ダウンタウン物語 OH! MYハレルヤー」として発売されました。まだ芸能人のPVなど珍しかった時代です。ましてやお笑い芸人のPVなど前代未聞のことでした。が、このPVを木村常務は在京テレビ局をはじめ全国のテレビ局に「名刺代わりに」と配られたのです。PVを名刺代わりに、などとは、その頃は誰も考えたことのない戦略でした。
そのことがどのように功を奏したのかは定かではありませんが、それまで立ち塞がっていた山が動き海が割れ、ダウンタウンの在京キー局での快進撃がはじまったのです。その後の大活躍はご案内の通りですが、お2人の華々しい東京進出の口火を切った刻に立ち会えたことは、秘かな誇りとするところでした。その後のご縁は、出演のテレビ番組に幾度か出演させていただく機会があり、数年前年末恒例の人気番組であった「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで! 笑ってはいけないシリーズ」に草彅剛氏や斉藤慎二氏と、ブリーフ姿でカメラを担いで共演したことは懐かしい想い出となっています。
■地獄に落ちろとばかりに叩き続ける文春キャンペーン
昨年12月26日、週刊文春電子版と翌日発売された「週刊文春」で「松本人志と恐怖の一夜、俺の子供産めや!」と題された衝撃的な記事が報じられました。この記事を掲載した週刊文春は45万部を完売するという、近年において記録的な数字を達成したのでしたが、これに気を良くして文春は、翌週以降も「松本人志氏の性加害問題」としたキャンペーン記事を展開したのです。
お笑い芸人である松本人志氏のプライベートな飲み会ネタを「性加害の宴」として糾弾し、その後も毎週のように12週にわたって「死ねよ」とばかりに叩く文春砲に「度が過ぎている」との怒りを持ちました。有名人の秘密を覗き見するのが好きな読者に応える活字メディアの商業ビジネスは「表現の自由」の名のもとに許されることであっても、程度問題ではと考えたのです。
そこで自分の「X」で松本人志氏への「応援メッセージ」を募集することにしました。私自身の「X」は「センシティブ規制」で閲覧制限がかかっているところから、集まるのはせいぜい50通程度ではと考えていましたが、予想に反し、一週間という僅かな応募期間内に実に800通以上のメッセージが寄せられたのです。驚きでした。松本人志氏、ダウンタウンとそのお笑いがいかに多くの人たちに愛され支持されてきたかを改めて知ったのです。
それらは「たかがお笑い」といえども「されどお笑い」の、松本人志氏とダウンタウンに「生きる力を貰った」との、「応援」というよりは「感謝の心」で綴られた文章で溢れていました。「感動の物語を創作するプロの作家」のレベルには至らないまでも、素人の真実の力が持つそのエピソードの数々は心に染み入り、感涙を禁じ得ないものばかりだったのです。
■「たかがお笑い」「されどお笑い」
故・安倍総理は大阪の吉本の舞台に立ち、松本人志氏のテレビ番組にも出演を果たしました。このことで左巻き勢力は「松ちゃんは右翼」とのレッテル貼りをしたのでしたが、事実は違います。安倍総理は十代に発症した難病との闘いの日々を数十年に及んで送られました。その出口の見えない絶望とも言える闘病生活の中で、テレビから流れてくる「お笑い」にどれほど癒されたかしれない、と生前、その理由を語られています。
古賀政男氏は「歌は食べるものではないから、お腹いっぱいにすることはできないけれど、人の心を温かくすることができる」との言葉を遺していますが、それはまさしくお笑いに通じる至言でもあります。順風満帆な人生を歩む、幸福に恵まれた人にとっては「お笑い」は暇潰しに過ぎなくても、人生の辛い時を生きることを余儀なくされている市井の人にとっては、かけがえのない救いとなるものです。
巨匠・山田洋次監督は自らが名作コメディ映画を世に送り出してきた理由を「戦後のね、本当に辛い時も、思わず吹き出す出来事があり、立ち直ることができたんです。人間を勇気づけるには笑いが一番。笑って笑って、もうやめてくれと言いたくなるぐらい笑える映画がつくれれば、それが僕の夢。でも人を笑わせるのは難しく、思い遣りがないとできないけれど。もし非常に的確な笑い話をして彼が思わず笑ってしまうと、その笑いが彼を元気づける。思わず吹き出してしまう時にふと立ち直れる。客観的になれる、元気になれる。本当に辛い時には、その人を笑わせるといいんですよ」と述べられていますが、それはまた「生きた人の中で、一番笑い声を聞いた耳でありたい」との松本人志氏の「お笑い」に通有する「お笑い道」と考えます。
それは、たとえば大海原に投げ出されて漂流し、もはやこれまでと生きることを諦めかけた時、突然目の前に差し出された一枚の板切れにも似たありがたさでもありました。砂漠を道に迷って彷徨う旅人の前に差し出された一杯のコップの「命の水」ともいえる水が、ダウンタウンのお笑いであったのです。
この度はそうした松本人志氏の「お笑い」に出会ったことで疲労困憊の身が癒され、勇気をもらうことができた、との熱き思いで寄せられた約800通の中から100通、松ちゃん応援団「松ってる(待ってる)」のチームが集められた約200通の寄せ書きメッセージの中から約30通余を選ばせていただき、識者の寄稿と共に一冊の本に纏めました。