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【11.17引退】“三沢光晴最後の対戦相手”という過酷な運命を背負った男・齋藤彰俊が「生」を語る

■運命に導かれるように参戦を直訴したプロレスリング・ノア

▲ノアで味わった「恐怖」を振り返る

 新日本プロレスでの刺激的な日々を過ごしていた齋藤だが、「これはちょっと自分が思い描いていたプロレスラーというものとは違う」と感じていた。プロレスラーは自分のためにとか、「たとえ上司だろうが何だろうが、正しいと思ったことを…」という姿に憧れを持っていたが、「今の自分は違う」と見えてしまったのだ。

 そこで齋藤は新日本プロレスを辞めることを選ぶ。それから2年間、リングで戦うことなく、一般の人と変わらぬ暮らししていた。

 プロレスから離れて生活していた齋藤に、青柳政司がある話をしてきた。
 
「齋藤、NOAHって団体ができるらしいからいかないか」

 聞いた瞬間、NOAHへいきたいと思ったそうだ。

「NOAHには、三沢光晴さん、小橋建太さん、田上明さんと当時の二大メジャーの一つである全日本プロレスでトップを張っている選手がいるわけです。自分は、平成維震軍で新日本プロレスのリングに上った。NOAHへ行けば、一つのメジャーである全日本も体感できるじゃないですか」

 そんな折、三沢が東海ラジオに来ることがあった。ここに齋藤も駆けつけ「NOAHに上がりたい」と直談判したのだ。その後、NOAHにテスト参戦を許可され、見事クリア。まずはフリーとしてNOAHのリングに上がることになった。

「フリーであっても俺はNOAHの一員」そんな気概をもってNOAHで戦っていた。所属選手だけが着るジャージーを身にまとい、プロレスリングZERO-ONEの旗揚げ戦では、三沢光晴のセコンドにもついていた。

「新日本プロレスじゃない。ZERO-ONEでもない。俺はNOAHなんだ」という意思をファンに伝えるために。そして2006年1月1日付で正式にNOAHの所属選手となる。テスト参戦から約6年をかけてNOAHの一員として認められた。

 齋藤にNOAHと新日本プロレスとの違いを聞いてみるとレスラーにしかわからない答えが返ってきた。

「自分の感覚でいいますと、新日本プロレスは攻撃的なんです。リング上で相手を倒すためにやっている感じです。リングを降りると派閥争いもすごい。例えばですね、ベンツに乗っているのは〇〇派で、キャデラックに乗っているのは✗✗派って感じで。控室もすごい殺気立っていましたね。

NOAHは海で言うと”凪”です。表向きは平坦で波風が立たない。しかし、海中の潮の流れは激しいです。その違いがありますね。リング上でいうと受けの強さが違いました。

『俺はお前の攻撃を全部受けるよ』と三沢さんに言われ、『これで倒せるだろう』と攻撃しても、三沢さんは『もっとこいよ』という感じでした。自分が持っている武器を全部使って攻撃しても、平然としているんです。その時はすごい絶望感を覚えましたね。攻撃されるときと違う恐怖でした」

 手持ちの武器が通用しない。「何をしたら倒せるのかわからない」という恐ろしさを齋藤はNOAHで味わった。

次のページ15年間背負い続けた「三沢光晴最後の対戦相手」

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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