イチローが高校球児を〝後押し〟した言葉。生徒は自分自身を「ちゃんと生きる」ために学ぶ【西岡正樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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イチローが高校球児を〝後押し〟した言葉。生徒は自分自身を「ちゃんと生きる」ために学ぶ【西岡正樹】

イメージ:PIXTA

 

◾️イチローの「ちゃんとやってね」という一言の意味

 

 徹君は、ちゃんと聴いて何かを感じ、でも言葉にできなくて、でも感じていることは確かにあるから、その思いが徹君をこのような行動に導いたのです。「ちゃんと聴く」というのはこういうことなのです。

 徹君のように、何かを感じたとしても、何かが心に残ったとしても、すぐに言語化できない子どもはどこの教室にも多くいます。とはいっても、ちゃんと聴けば曖昧なままでも、自分の思いは自分の中になんとなく残り続けます。繰り返しますが、実際、子どもたちの様子を見ているとそうだったのですが、たとえ言語化できなかったとしても、徹君のように自分の中に留まっている思いは何らかの形で表出される(行動に表れる)ものなのです。

 このように、なんとなくであっても曖昧であっても「自分の思いに辿り着く」行為こそが「ちゃんとする」ことなのだと、私は捉えています。 

 私が教室で子どもたちと共に過ごし、長い時間子どもたちを見ていて分かってきたのですが、このような「ちゃんと」した行為を繰り返しているうちに、子どもたちの中で「分かったこと」と「分からなかったこと」(課題)が明確になってきます。そうなった時、子どもたちの目の色は変わります。思うに、「課題発見」こそが、子どもたちの「学びの始まり」なのです。

 また、前述したように、子どもたちの学びの流れは「課題発見」から「課題解決」へと続きますが、その繰り返しの中で、子どもは学ぶ面白さを味わい、学びを実感していきます。そして、子どもたちはその実感を積み重ねることによって、活動がより自覚的になり、自らの力で、成長の道を進んで行くようになるのです。

 さらにいえば、その学びの延長線上に子どもの「ちゃんと生きる」があるのだと、私は捉えています。 

 ところが今、子どもたちの学びは路頭に迷っています。どこに行けばいいのか分からず、学ぶことに疑心暗鬼になり、そればかりか、学ぶことに躊躇さえ感じている子どもたちがいる。それが現在の子どもの状況です。授業中の子どもたちを見ていると、学びから逃走しようとさえしている子どももいるのです。

 このような状況に陥ってしまった原因を考えると、私はその一つとして、大人が子どもたちに「ちゃんと」した行為を求めて来なかったからではないか、という考えに辿り着きます。学校においても家庭においても、教師や親は子どもに様々なことを求めますが、教師や親は無理をさせません。やりたくなければやらなくていいと言い、できなければ子どもに無理をしなくていい、と言います。そのような場面をよく見かけます。

 昨今「うちの子に無理をさせないでください」と教師に伝える保護者は一定数います。

  子どもにとって、初めは面倒くさくても面白くなくても、向き合うべきものは向き合わなければならない状況って多々あります。特に、子どもたちの「学び初め」はそういうものです。多くの子どもにとって学びは分からない事から始まるのですから、特にそうではないでしょうか。

 このような状況であるからこそ、その面倒くさいことや面白くなさそうなことを避けるのではなく、「ちゃんと」向かい合うことから始まる「ちゃんと」した学びを、子どもたちに「ちゃんと」体験させることが、大人の役割ではないかと強く思うのです。

 イチロー選手が高校生に投げかけた「ちゃんとやってね」という一言は、まさにその大人の後押しなのだと、私は思っています。

 

文:西岡正樹

 

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西岡正樹

にしおか まさき

小学校教師

1976年立教大学卒、1977年玉川大学通信教育過程修了。1977年より2001年3月まで24年間、茅ヶ崎市内の小学校に教諭として勤務。退職後、2001年から世界バイク旅を始める。現在まで、世界65カ国約16万km走破。また、2022年3月まで国内滞在時、臨時教員として茅ヶ崎市内公立小学校に勤務する。
「旅を終えるといつも感じることは、自分がいかに逞しくないか、ということ。そして、いかに日常が大切か、ということだ。旅は教師としての自分も成長させていることを、実践を通して感じている」。
著書に『世界は僕の教室』(ノベル倶楽部)がある。

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