「事実無根の捏造記事」で文藝春秋に名誉毀損訴訟で勝った私からの警告《後編》【浅野健一】
『ありがとう、松ちゃん』より #後編
■「週刊文春」は報道加害常習犯
文春は、多数の名誉毀損訴訟で敗訴しているが、杜撰な取材により虚偽の記事を掲載し、〝報道という名の暴力〞を行い続けた結果であると言える。これは、文藝春秋社内において、報道機関が持つべき最低限の社会的常識、倫理観が欠如していると言わざるを得ない。
文春は1959年、出版社系の週刊誌としてスタートし、「週刊新潮」とともに「新聞が書かない」記事を売り物にして、大きく部数を伸ばしてきた。その主要な柱が「疑惑」報道とプライバシー「暴露」報道だ。
最近は、〝文春砲〞と称され、モリ・カケ・サクラ・カワイ問題、ジャニーズ事務所事件、自民党裏金疑獄など有力政治家・官僚の不適切な行為を暴くなど評価されているが、その本質は変わっていない。
文春はまず、「新聞が書かない」記事の見出しを新聞やネット(かつては電車の中吊り広告)で宣伝する。「新聞が書かない」こととは、まさに関係者のプライバシー。その口実として、「公人である」「事件に関係した」といった逃げ口上を用意する。
2004年3月の田中真紀子衆院議員の家族に関する記事は、出版差し止め仮処分申請で問題になった。差し止め請求は棄却されたが、それが話題になり、ふだん読まない読者も「週刊文春」を購入、文春は大きな利益を上げた。記事は議員の政治活動とは無関係で、公共性も公益性もなかった。
推知報道(氏名、年齢、容貌などにより本人と推知できる記事、写真の掲載)が禁止されていた少年事件の報道も悪質だ。新聞・テレビは「少年法を守る」という建前から、事件に関係した少年を特定する記述はある程度抑制してきた。文春はむしろ「新聞が書かない」と銘打って読者の関心を煽り、時には「少年法違反」を承知で実名を記載した。1989年の「女子高生コンクリート殺人事件」では、「野獣に人権はない」として少年4人の実名を報道、少年法を真っ向から踏みにじった。2022年4月、少年法の改悪で、18・19歳の特定少年の推知報道が解禁された。
それ以上に、「週刊文春」が売り上げを増やす常套手段としてきたのが、「ロス疑惑」に代表される「疑惑報道」だ。新聞・テレビは警察が警察記者クラブで広報(公表ではなくあくまでキシャクラブメディア=加盟の新聞・通信社テレビ19社=限定の便宜供与)した情報(夜討ち朝駆けの漏洩情報も含まれる)に依存し、逮捕段階で実名・犯人視報道を繰り広げる。文春はそうした「警察情報依存」報道に加え、警察が捜査に着手していない「事件」も「疑惑」として報じ、「事件化」させる手法を「開発」した。
「ロス疑惑」報道、「大分・聖嶽遺跡捏造疑惑」報道などで駆使されたこの手法は、私に対する「セクハラ疑惑」捏造記事でも全面的に「活用」された。
①私を実名で「告発」した登場人物は全員匿名、記事に書かれた「セクハラ」被害なるものの大半は「伝聞」情報だった。
②それを権威づけるため、大学セクハラ委員会の「申立人」に対する不用意な経過報告を「大学がセクハラを認定した正式文書」であるかのように歪曲・捏造した。
③私に「敵意」を抱く渡辺武達・同大学教授及びその指導・影響下にある大学院生(男女2名)らの一方的な話を鵜呑みにし、裏付け取材もせず、記述。
④アリバイ的に電話・メールで取材を申し込み、私が、それを拒否すると「取材に応じなかった」と、記事で一方的に非難した。
文春の体質はずっと変わっていない。