「事実無根の捏造記事」で文藝春秋に名誉毀損訴訟で勝った私からの警告《後編》【浅野健一】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「事実無根の捏造記事」で文藝春秋に名誉毀損訴訟で勝った私からの警告《後編》【浅野健一】

『ありがとう、松ちゃん』より #後編

■悪意ある報道による被害者の声を聞け!

 冤罪を作り上げるような報道や犯罪被害者の苦しみをさらに増幅させるような悪意ある報道により、報道される側が、家族、生活を破壊されるという場面を私も数多く目撃してきた。犯罪被害者などはその典型例だが、誰が見てもひどい取材を受けながら泣き寝入りをせざるを得ない状況がある。「報道加害」は突発的に起き、被害は、一時的、局地的で、他の公害と違って横に連帯することが難しい。週刊誌を含むマスコミ業界も一つの権力であり、権力による人権侵害については、厳しく責任を追及する必要がある。「犯罪やスキャンダルに関する報道は、慎重な裏付け取材をしてほしいと改めて強調したい。とにかく真実を報道してほしい」というのが、私が取材した被害者の声でもある。

 文春で人生を狂わされた人は多数いるが、文春の「大分・聖嶽遺跡捏造疑惑」記事を苦にして父親が自死した東京都の会社役員、賀川真氏(2021年5月死去)が原告となった「週刊文春」裁判で、2007年7月、京都地方裁判所第6民事部に提出した陳述書から以下、引用する。この記事では、1961年から1962年頃に大分県の聖嶽洞穴遺跡から採取された石器が捏造であり、同遺跡の発掘調査の責任者であった賀川光夫別府大学名誉教授があたかもその捏造に関与した疑いがあるかのように書かれた。

2001年に週刊文春によって引き起こされました、いわゆる「聖嶽遺跡捏造疑惑報道」によりまして、私の父であった別府大学名誉教授賀川光夫が甚大な名誉毀損を被り、週刊文春に対する抗議の自死を決行した後に、提起しました「週刊文春聖嶽報道に対する謝罪広告等請求事件」の原告の一人です。

裁判の結論は以下の通りです。

平成15年5月15日に大分地裁で判決がありました。件名は「大分地方裁判所民事第1部 平成13年(ワ)第610号謝罪広告等請求事件」となります。こちらでは慰謝料総額660万円、及び謝罪広告の掲載が認められた。その後、原告被告双方控訴の結果、平成16年2月26日「福岡高等裁判所 平成15年(ネ)第534号 謝罪広告等請求控訴事件」において、慰謝料が、920万円に増額され、謝罪広告の場所を指定した画期的な判決を戴きました。最終的には被告上告により最高裁に移されましたが、平成16年7月15日「最高裁判所第一小法廷判決 平成16年(オ)第911号 謝罪広告等請求事件」におきまして、上告棄却となり、私たち原告の完全な勝訴として確定しました。

2004年9月2日号に待望の謝罪広告が掲載されました。私は、これでやっと闘いが終わったと、ある種清々しい思いと寛恕の念を持ってこの文春を手にしました。ところが、その感情は数秒後には怒りの感情へと変化しました。その号には確かに裁判所が命じた通り、謝罪広告は掲載されていました。しかし、その同じ号で、数ページにわたって、「謝罪広告掲載命令 先進国では日本だけ」なる記事が掲載されておりました。記事の内容は謝罪広告の掲載が如何に不当なものなのかを綴ったものでした。平たく言うと「裁判所に言われたから、しょうがなく謝罪広告を掲載するが、悪かったとは思っていない」と、表明したもので、私たち遺族や関係者の感情に対する配慮などは、かけらもありませんでした。また、このことは、裁判という制度に対するあからさまな対決でもあります。更に、これは、今後もこうした報道を改めることなく、繰り返していくことを宣言したようなものです。

私たち以外の事例を見ても、黒川紀章氏が設計した豊田大橋に関する週刊文春の記事で、「この豊田大橋に関しては、地域住民の罵倒が殺到している」という報道に対する名誉毀損裁判では、「罵倒の対象は橋であって黒川氏個人ではない」と答弁したり、「大阪のある大学の副学長が北朝鮮のスパイである」との報道に対する裁判では、「スパイという表現は多義的な表現だ」との答弁をするなど、常に真摯な応訴態度とは思えない行動を繰り返してきました。このことは、憲法21条で認められた、出版、言論、表現の自由を自ら危うくしている行為だと考えます。日本国憲法は12条において、自由及び権利は国民の不断の努力によって保持しなくてはならないと定めています。これを21条に合わせて考えるならば、報道機関は、自由に報道をする権利を有するとともに、そこで起こった問題に対しては、不断の自浄作用を期待されています。よって、著しい人権侵害である、名誉毀損という不法行為を繰り返す文春は、自らの手で憲法21条を危うくするパラドックスの中に存在していると考えます。

杜撰な報道でこのような事件が繰り返されてはならないとともに、報道事件であるかぎり、先にも述べましたように、かかる事件を繰り返すことは憲法を自ら葬る行為になってしまうと思います。繰り返しになりますが、憲法で定められた権利は国民の不断の努力によって、保持されなくてはなりません。それには報道機関の自浄作用が必要不可欠だと思います。

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浅野 健一

あさの けんいち

ジャーナリスト

1948年香川県高松市生まれ。慶大経卒、1972年に共同通信社入社。
1984年に『犯罪報道の犯罪』を出版。1994年から2014年まで、同志社大学大学院メディア学専攻教授。『客観報道』『安倍政権・言論弾圧の犯罪』など著書多数。2020年、下咽頭がんで声帯を失うが、AI音声などを使って講演を再開。「紙の爆弾」「進歩と改革」に寄稿、朝鮮新報、救援、たん
ぽぽ舎メルマガで連載中。

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