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第51回:「あの頃 夢中になっていたもの」

<第51回>

9月×日

【「あの頃 夢中になっていたもの」】

 

大相撲九月場所で賑わう両国駅に降り立ち、国技館前の鮮やかな幟を目にした瞬間から、嫌な予感がした。

今の今まで、相撲に対して興味を抱かない人生を送ってきた。

その興味のなさたるや、尋常ではなかった。

「フリーマーケット」とか「ガーデニング」とか「ゴルフ」とか「ワイン」とか「ヨーロッパ」とか「ピーターラビット」とか、この世には「全然こちらに興味の湧かせないカタカナ」がごまんと存在するわけだが、それらカタカナをたった二文字の日本語である「相撲」は猛然と蹴散らす。そしてこちらの食指をまったく動かさせることなどしない。恐るべし、相撲、である。

夕方、なんとなく点けたテレビの先に広がる大相撲中継。それを歌舞伎揚げなどを惰性で食べながらぼんやりと観ているときの、僕の虚ろな目たるや。「全然知らない人の夢の話を聞かされている」みたいな、死んだ目をしている。

キング・オブ・興味ない。それが、僕にとっての相撲であった。

それがどうしたわけか、ひょんなことから九月場所のチケットを手に入れることになり、まあ家にいても輪ゴムを噛んでみたり洗濯バサミを耳たぶにはさんでみたり乾電池を舐めて舌をピリッとさせたりすることくらいしかやることがないので、だったら一度くらい生で相撲でも見てみるか、くらいの気持ちで国技館へと足を運ぶことにあいなった。

初めて目にする、大相撲の世界。

太鼓の軽やかな音。

国技館入りする力士に賑々しく声をかける沿道の人々。

鬢付け油の良い匂い。

土俵の神々しい存在感。

地下の大広間でふるまわれるちゃんこが250円という安さ。

思っていた以上に会場内をウロウロしている力士たち。

二階売店のたい焼きの美味しさ。

なによりも、力士たちが放つ、それぞれのスター性。

異世界から放り出され、帰りの両国駅のホームに放心状態で佇む。

そして気づけば帰りの電車の中、Wikipediaで相撲関連のワードを無我夢中で検索していた。

やってしまった。完全に相撲にドンはまりしている自分がそこにいた。

僕は、基本的にぼんやりとしている人間である。

惰性で歌舞伎揚げを食べているような空虚な時間が永遠に続けばどんなに幸せだろう、と願っている人間である。

ぼんやりと生きることを標榜する上で、ひとつ、強く気をつけていることがある。

それは、「なるべくなにかに夢中にならない」ということ。

「なるべく趣味を作らないこと」と言い換えてもいい。

なにかに夢中になってしまえば、それを追うための時間、さらにはお金が必要になってくる。それについてばかりを考えるようになる。とてもではないが、ぼんやり生きている場合ではなくなる。

ぼんやりと生きたい自分は、つまり、無味乾燥の人間である。人間版のゴビ砂漠である。

ところが。乾燥した大地に一度でも水を与えてしまうと、驚くほどの早さでそれは染み渡る。

ぼんやりと生きたい。なのに、すぐになにかに取り憑かれる。二律背反が、そこにはある。

だから、興味がある対象が目の前にあると、常に警戒心を持ち距離を取りながら接するようにしている。ずっぽり肩まで浸からぬように、半身浴の姿勢で臨む。

でも、相手は物陰から不意打ちでこちらを襲ってくる。

その対象に興味が全くなかったのに、ある日突然、それに心も身体も許していることがままある。

ここからしばらく、一人称を「アタシ」にさせていただきたい。

アイドル、落語、ディズニーランド、プロレス、裁判傍聴、バードウォッチング、昆虫採集、散歩、山登りetc…。今まで、アタシの身体の上をあまた多くの趣味が通り過ぎ、それらの趣味に乱暴に抱かれ、趣味がタバコをふかしている横で枕を濡らし静かに泣いた朝が何度あったことか。そして恐ろしいことに、その趣味たちは部屋から一向に帰る気配がなく、今でも気が向いたときにだけアタシのことを抱くのである。

ただぼんやりと生きたいだけなのに。そのぼんやりさにつけ込んで、趣味が次々とアタシを弄ぶ。

そして、ここにきて、相撲というニューカマー。

アタシ、もう壊れちゃう…。

思えば、ずっとなにかに夢中になり、依存して生きてきた。

ぼんやりと生きたいという願いを持つ者は、ぼんやりと生きることのできない哀しい宿命を持っているのかもしれない。

いまでは複雑にもつれあっている趣味たち。

まだ紅顔の少年だった頃は、自分はなにに夢中だっただろう。

ネットサーフィンをしている途中、ふとした思いから、気まぐれに「あの頃 夢中になっていたもの」でグーグル検索した。

「中学生のときって、女の裸のことしか考えてなかったよな」というスレッドが引っかかった。

そうだった。あの頃はとてもシンプルで、女の裸のことしか考えてなかった。

いまでは裸の男(力士)に夢中になっている自分がいる。

思えば、遠いところにきてしまった。

深いため息をひとつ吐き、検索の手をYouTubeでの「舞の海の名取り組み動画」探しに戻した。

明日はイトトンボを採りにいく。早く寝なくっちゃ。

 

*本連載は、毎週水曜日に更新予定です。

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ワクサカソウヘイ

わくさかそうへい

1983年生まれ。コント作家/コラムニスト。著書に『中学生はコーヒー牛乳でテンション上がる』(情報センター出版局)がある。現在、「テレビブロス」や日本海新聞などで連載中。コントカンパニー「ミラクルパッションズ」では全てのライブの脚本を担当しており、コントの地平を切り開く活動を展開中。

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