ものを作ることがデフォルト【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第33回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第33回
【「作る」から「推す」へ】
とにかく、便利な世の中になった。一人の知見が大勢に伝達されるわけで、知識の共有という意味で絶大な発展を遂げた。翻って、では個人の思考はどうなっただろうか?
これは明らかだと思う。このようなネット環境に浸っている人たちは、判断をしなくなり、連想したりもしない。予測も計算も自分ではしなくなった。それでも、生きていけるからだ。
さらに、追い討ちをかけるように、とまではいわないが、そもそも個人がものを作る機会がほぼなくなった。どんなものでも商品化されていて、必要なものは作らなくても、全部売っているのである。ずばりのものはないにしても、かなり近いものが、お金を払えば手に入る。
ものを作るときは、自分が望むものの形をまず考える。それに向かって製作(あるいは制作)するものの、そのとおりにはならない。ここで、理想と現実の差に直面する体験を重ねる。一方、製品を買うことで自分が欲しいものを手に入れるときには、まず最初に「選択」がある。自分が欲しいものを細かく考える必要はなく、目の前に並ぶものの中から、納得できそうなものを適当に選ぶ。ここには、理想というものは頭に浮かばず、最初から現実があって、それに自分を合わせていくしかない。選択しているようで、実は最初から自分を適合させる妥協をしているのである。
子供の頃から「夢を抱け」「夢は大きく」と教えられてきたが、おそらく、今の若い人たちの「夢」というのは、既に身の回りやマスコミやネットに存在する「実例」から選択されたものだろう。「誰某のようになりたい」というのが将来の夢になっている。また、最近流行りの「推し」にしても、製品化された商品から選ばれたものだ。
「実例」では駄目なのか、と反発されるかもしれない。否、悪くはない。しかし、「理想」というものは、「実例」を超えることができる点が異なるし、「実例」を夢だ、推しだと夢中になっている人の多くは、その夢や推しへ自分が近づくことを目標としていて、そこへ到達しようとは考えてもいない。最初から、諦めているからこその「夢」であり「推し」なのである。この点が、自分で夢を作ろうとした人との違いだ。
要約すると、「作る」から「推す」への変革が、現代社会の人々の傾向のシフトであるといえる。どちらも、自分の力で、なにかを育てることでは一致していて、その努力自体が楽しく感じられ、人生の潤いとなっている。今の状態が悪いという話ではない。
KEYWORDS:
✴︎森博嗣 極上エッセィ好評既刊✴︎
『静かに生きて考える Thinking in Calm Life』
✴︎絶賛発売中✴︎
★森博嗣先生のBEST T!MES連載「静かに生きて考える」が書籍化され、2024年1月17日に発売決定。第1回〜第35回までの原稿(2022.4〜2023.9配信、現在非公開)に、新たに第36回〜第40回の非公開原稿が加わります。
世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?
森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。
〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。