元宝塚女優が、映画「銭天堂」で先輩・天海祐希に再会。「特殊メイクしていても素敵でした」
■宝塚の人はみんな努力家
——7年目で辞めたのは、何か理由が?
田中 大きなきっかけがあったわけではないんです。宝塚では、新人公演をするのが7年目までで、ちょうど節目の時期なんですよ。そのタイミングでいろいろ考える方も多いそうです。
——新人が7年って、かなり長い気がします。
田中 そう思いますよね。今の方たちはすごく出来上がってる状態で入団してくるのですごいなと思うんですが、一応、男役は出来上がってくるのに10年かかると言われているので。男役で7年目というと、これからっていう時期になるんじゃないかなと思います。その時期でだいたい、25、6歳くらいですかね。
それから先がけっこう長いんだなって、辞めてから改めて思いました。たとえば、一緒に7年目を迎えた同期が、私が辞めた後も10年目までいると、その3年間ってすごく大きくて。すごく貫禄が出ていて、あの時は2人であんなにフレッシュだったのに! ってびっくりしました。いつの間にか髭の似合う男になってる……って。同期の舞台を観ていてそう感じましたね。
——宝塚は、田中さんにとってはどんな場所でしたか?
田中 卒業生にも現役生にも、みなさんに思うことは、どんなことにも一生懸命なんですよね。コツコツと努力することを当たり前のようにできる人たち。さわやかで好きです。みなさんの姿を見ていると、自分も一生懸命やっていきたいなという思いが強くなります。
私の周りって、やっぱり宝塚でできているんですよ。母も宝塚出身で、仲の良い友達も、可愛がってくださる先輩もいまだに縁が続いていますし。人生ずっと、宝塚の人たちに囲まれながら生きていくんだなって思っています。
——お母様は1960年代の宝塚にいらっしゃったとのこと。どんな方ですか?
田中 母も何事にも一生懸命で、とても明るくて、気持ちの美しい人です。もう80代なんですが、全然老けないんですよね。いつも家で洗濯物とか畳みながら歌ってる人です。鼻歌じゃないんですよ、本気で歌ってるんです(笑)。小さい頃は恥ずかしいなと思うこともあったけれど、そういう生活のおかげで年を取らないんだなと思います。
でも、それ以外は一般的な家庭と変わらないですね。こういうふうに育てられた、みたいなのは意外となくて。けっこう普通です。母は天真爛漫で、父はおっちょこちょいで(笑)。
——長い歴史のある宝塚ですが、時代が変わり、今は逆風が当たることもあります。
田中 宝塚も時代に合わせて変わっていっていますが、みなさんにいい夢を見ていただくために一生懸命やっているというのは、いつの時代でも一緒だと思うので。これからもいろいろ大変なこともあるだろうけど、やっぱり“清く、正しく、美しく”であってほしいですね。
——田中さんご自身はどんな役者人生を歩んでいきたいですか?
田中 私もいい年の重ね方をしていきたいですし、いろんな経験の上で、生きざまが出るような演技ができればと思っています。
——ありがとうございました。
取材・文:梁木みのり(BEST T!MES)
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