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すべては『プガジャ』から始まった【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」2冊目

新保信長「体験的雑誌クロニクル」2冊目

村上知彦氏の編集長就任直前号には橘川幸夫氏とのメディアに関する対談が掲載されていた。『プレイガイドジャーナル』(プレイガイドジャーナル社)1981年9月号p108-109より

 

  思うに『プガジャ』とは、ひとつの「場」だったのだ。そこにさまざまな情報や人が集まり、そこから何かが生まれてくる。「何かをやりたい」という若者たちが集い、情報交換し、仲間を見つける。そういう媒介=メディアとしての役割を考えれば「メッセージ」から「出会い」への変更は、むしろ筋が通っている。 

 ただ、その背景にあった「“熱血”の70年代から“シラケ”の80年代へ」という時代の変化は見逃せない。情報は求めてもメッセージは求めない読者が増えていた。リニューアル前の81年6月号に〈近頃、読者短評を見ていて、女の子の投稿が増えてきたことに、ビックリしています。正直言って、こんな自分勝手で混沌とした雑誌(プガジャ)を女の子がおもしろがって読んでるなんて、信じられません。無理してるなら、早くLマガに切り変えた方が、変な病気にならずにすむと思います〉という(今なら軽く炎上しそうな)投稿があったが、実際のところ『プガジャ』は『Lマガ』に押され気味だった。要は、世の中全体が“Lマガ化”していたのだ。

 そうした流れのなかで、『プガジャ』はさらに大きな転機を迎える。83年1月号をもって、「B6平綴じ・100円」という創刊以来のスタイルから「B5中綴じ・180円」へと変身したのである。それはほかでもない、『Lマガ』のスタイルだった。

 その変更について、前出・村上氏は「一つは広告対応のため。広告主が“『Lマガ』と同サイズのほうが広告入れやすい”というので(笑)。もう一つは、B6では情報が入りきらなくなっていた。かといってページを増やすと、印刷に時間がかかり、情報の締め切りが早くなってしまう。そんなこんなで変えたんですけどね」(別冊宝島345『雑誌狂時代!』)と述べている。

  それは苦渋の決断だったに違いない。読者の反応は賛否両論だったが、やはり『Lマガ』追随には納得できない層が(私も含め)多かったのではないか。その判型変更から3カ月後、私は大学進学のため大阪を離れることになる。好むと好まざるにかかわらず、『プガジャ』ともそこでお別れとなった。

  その後、『プガジャ』は8712月号をもって6代目編集長・小堀純氏以下、全スタッフが退社。翌月からまったく別の体制で発行されるも88年9月号で休刊となる。

  実家の食堂も大毎地下も『プガジャ』も今はもうない。いずれも最後を見届けることはできなかった。しかし、その3つのどれが欠けても今の自分はなかったし、『プガジャ』がなければ編集やライターの仕事には就いていなかったかもしれない。もちろん、こんな連載もしていない。すべては『プガジャ』から始まったのだ。

 

文:新保信長

 

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新保信長

しんぼ のぶなが

流しの編集者&ライター

1964年大阪生まれ。東京大学文学部心理学科卒。流しの編集者&ライター。単行本やムックの編集・執筆を手がける。「南信長」名義でマンガ解説も。著書に『国歌斉唱♪――「君が代」と世界の国歌はどう違う?』『虎バカ本の世界』『字が汚い!』『声が通らない!』ほか。南信長名義では『現代マンガの冒険者たち』『マンガの食卓』『1979年の奇跡』など。新刊『漫画家の自画像』(左右社)が絶賛発売中です!

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