ただほめても、部下と良い関係は築けない。アドラー心理学を研究する哲学者が「部下の貢献に注目せよ」と言う真意【岸見一郎】
『アドラーに学ぶ 人はなぜ働くのか』より #3
新刊『アドラーに学ぶ 人はなぜ働くのか』(ベスト新書)を上梓した岸見一郎氏は、部下へのマネジメントにおいて、ほめることもNGだと説く。叱るのはまだわかるが、なぜポジティブなほめるという行為がダメなのか。それは「ほめるというのは上下の、あるいは縦の対人関係を前提にしている」から。岸見氏は「部下の貢献に注目せよ」という。同書より部下へのマネジメントのヒントをお届けする。(「アドラー」シリーズ#3 /#1 #2 を読む)
■ほめない
叱らないけれど部下をほめる上司がいます。部下をほめて伸ばすことは大切だと考えている人は多いように思います。そのような人は、叱ることにはためらいを覚えても、ほめることには何ら疑問を覚えません。しかし、ほめるということがどういうことなのかを理解すれば、もはや人をほめることはできなくなります。
私は心筋梗塞で倒れてから十年になりますが、今も二ヶ月に一度は検診に行きます。
そのたびに採血をされます。時々、小さな子どもが大人に交じって採血されるのを見かけます。なかには泣き叫ぶ子どもがいますが、大半の子どもはじっと我慢します。そんな子どもを見て、親や検査技師、看護師さんは当然のように「えらかったね」とほめます。
私はといえば、大手術をした時の痛みには耐えられたのに、採血の時、血が絞り出されるような痛みを耐え難いものに思ってしまいます。それでも当然泣いたりはしませんが、採血が終わった時に、もしも「えらかったね」とほめられたら、馬鹿にされたと思うはずです。しかし、子どもであれば、ほめてしまいます。この違いは重要です。
ほめるというのは、能力がある人が能力のない人に上から下す評価の言葉なのです。つまり、大人は子どもが本来採血の痛みに耐えられないと思っているので、子どもが泣かずに勇敢に痛みに耐えるのを見てほめるのです。子どもを自分より下に見ている大人は、子どもをほめるのです。
このように考えると、職場では、上司は部下をほめることはできないことがわかります。ほめるというのは上下の、あるいは縦の対人関係を前提にしているからです。
大人同士であれば、相手を自分より下と見なさなければ、ほめられないのです。上司と部下の関係においては、自分を部下よりも上だと見ている上司は部下をほめます。上司が部下を対等であると見ていれば、部下をほめることはできないはずなのです。
いや、上司が上で、部下が下であるのは当然だという人は、生まれる時代を間違ったのです。地位が違っても、そのことは部下が対人関係の下にいるということを意味しないのです。
上司は入社したばかりの部下よりも知識も経験もあって当然ですし、取らなければならない責任の量も違います。その意味では、上司と部下は同じではありません。大人と子どもが、知識や経験、また取れる責任の量が違っても、人間としては対等であるのと同じです。こんなことを説明する必要がない時代に早くしなければなりません。
上司からほめられたら嬉しいと思う部下も、自分が無能であると上司に認めてほしいと思っているのです。上司がこのような部下を自分に従わせるのは容易ですし、心地よいかもしれませんが、要は、上司は部下を自分の家来や子分にしたいのです。
当然、部下が自分の創意で判断して行動することを好みません。上司の指示に従い上司に気に入られるためにだけ行動するようになった部下は、自分の行動の是非を自分では判断できなくなってしまいます。実際には、常に指示をしなければならない部下は、手がかかりますが、それでも部下を支配できるのであれば上司はそれをも厭わないのです。
ほめられたい、承認されたいという部下は、自分で自分の価値を認められないという意味で自立できていません。そのような部下は上司に依存してしか生きられなくなりますし、部下に依存される上司も、部下に依存していることになります。
叱らない、ほめない。では、どうすればいいのでしょうか。
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