そうか「自分に価値がある」と思えていなかったのか。迷えるZ世代編集者を救ったアドラーの教え【梁木みのり】
担当編集者書き下ろしコラム
■ハッとさせられたアドラー、岸見氏の言葉
まず、一冊を通して読んだ。第一章「なぜ働くのか」で、アドラーのこんな言葉が引用されている。
「誰かが靴を作る時、自分を他者にとって有用なものにしている。公共に役立っているという感覚を得ることができ、そう感じられる時にだけ、劣等感を緩和できる」
「私に価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益である時だけである」
「私は自分に価値があると思える時にだけ勇気を持てる」
これを受けて、著者の岸見一郎氏は、このように書いている。
人は何のために働くのか。働くことで人は自分の持っている能力を他者のために使い、他者に貢献するのです。他者に貢献すれば貢献感を持つことができ、そのことで自分に価値があると思えるのですから、働くことは自分のためでもあるのです。
見方を変えれば、仕事をしていても貢献感を持てず自分に価値があると思えなければ、働くことには意味がないことになります。
私は、前の会社で「自分に価値がある」と思えていなかったことに気づかされた。自分にとって価値があると思える仕事もできていなかったし、周りからも評価されないので、自分の価値観も能力もひたすら自分の中で否定していたのだ。
そして、周りの環境全てがそんなふうだから、「それでもここにい続けるしかない。なんとか我慢するのが正解だ」と思い込んでいた。そんな働き方を「意味がない」と言い切ってもらえて、まさに胸のつかえがスカッと取れた心地だった。
自分の力を活かすことで、貢献感を持てる仕事をしなければ、自分に価値があるとは思えません。自分の力を活かせない職場にい続ける意味はありません。
(中略)
仕事も、そこで仕事をする職場も、それに合わせて自分が受動的に入っていく場所ではありません。自分もまた仕事のあり方や職場の環境を変えていくことができますし、そうする責任があるわけです。会社という組織に自分を合わせなければならないわけではないのです。
おかげで私は、自分に価値があると思える仕事を目指す、新しい人生に踏み出す勇気を持つことができた。「ここにいなくてはいけない」などということはなかったのだ。
働きたくない、会社に行きたくないという話はいろいろなところで聞く。毎日つらいのに、生きる世界が会社の中だけに狭まってしまい、「できない自分が悪いんだ」と思い込んでいる人は多いのではないのだろうか。確かに、「成果を出すのが正義」という価値観の存在が大きすぎて、他の生き方を考える余裕はなかなか持ちづらいのかもしれない。