第53回:「浦島太郎 なぜ不幸な目に」
<第53回>
10月×日
【「浦島太郎 なぜ不幸な目に」】
昔話「浦島太郎」のストーリーを真剣に追っていると、釈然としない気持ちになる。
僕が把握している「浦島太郎」のあらすじは、ぼんやりとしているが、以下の通りである。
・浦島太郎が浜辺を歩いていると、子どもたちが亀をいじめている
・浦島太郎、子どもたちに「やめろ」と言う(←善行)
・子どもたちが亀をいじめるのをやめないので、浦島太郎は金を払う(←さらに善行)
・思わぬ臨時収入に子どもたちはいなくなる
・「今後は浜辺の一人歩きは気をつけるように」と交番のおまわりさんが軽い事件に巻き込まれたOLに対して最後に言いそうなことを亀に告げる浦島太郎(←止まらない善行)
・亀を海に帰してやる浦島太郎(←加速する善行)
・次の日、亀が現れて「御礼がしたい」という旨を浦島太郎に告げる
・浦島太郎はそれを承諾、亀の背中に乗り竜宮城へ。そこで宴のもてなしを受け、数日ほど滞在する
ここで終わっていれば、納得できる。
善いことをするとちゃんと御礼が返ってくるのだなあ、と思える。この教訓を受けて、これからは自分もレジ前で「あ、俺、多めに出すわ。みんなはひとり千円で」とか言おう、と思える。
ところが終盤、「浦島太郎」は不穏な展開を迎える。
・浦島太郎、帰りがけにお土産の玉手箱をもらう。「困った時にあけてね」と言われる
・地上に戻ると、なぜかものすごく月日が経っていて、自分のことを知っている人は誰もいなかった
・予想以上に早く「困った時」が訪れたので、さっそく玉手箱をあける
・煙が出てきて、浦島太郎は白髪ヨボヨボの老人になったとさ…。めでたしめでたし…
全然、めでたくない。
どんな気持ちになっていいのか、まったくわからない。
善いことをしたのに、特に悪いことはしてないのに、なぜ最後は絶望を与えられたのだろう。
金まで払ったのに、結果的に老人に。浦島太郎からしてみたら、支出と収支のバランスが超悪い話である。
ざっくりとしたあらすじだけ見ていると、「浦島太郎」は不条理ホラーだ。
「浦島太郎 なぜ不幸な目に」でグーグル検索。
やはり、この「浦島太郎」の後半の不条理な展開については、たくさんの人が疑問の声をあげていた。Yahoo!知恵袋には「なぜ浦島太郎って最後はあんな悲惨な結末なんですか?」という質問がいくつも散見され、Wikipediaの「浦島太郎」の項には「不合理な教訓をもたらすお伽噺」とまで書いてあった。
ネットを巡る。しかし、解釈・諸説が入り乱れ、普段「ああ、グラビアアイドルと付き合いたい」みたいなことばかり考えている僕の脳は、「浦島太郎の不条理さの真実」を解くことはできなかった。
釈然としない思いだけが残る。
なぜ、急に「浦島太郎」のことを考えたのか。
それは、今日、こんなことがあったからだ。
あらすじはこうだ。
・台風が去り澄み渡る空の下を散歩していると、路上に亀がいた
・で、その亀の周りを、ふたりの子どもが囲っていた
・路上に亀がいることも滅多にないが、それを子どもが囲っているという実に「浦島太郎」的なシチュエーションに僕の胸は騒いだ
・「いじめているのかな?いじめているんだったら、注意しようかな」と、僕の心の中のマザーテレサ的な部分が目をさました(←美しい善の心)
・でも、ふたりは特に亀をいじめる素ぶりなどせず、ただただ亀を囲っているだけであった
・よく見ると亀は小ぶりのリクガメで、どうやらそのふたりのペットであるようだった
・「子どもたちが亀をいじめるはずがないか。だって子どもの心はダイヤモンドなのだから…」と思い直す僕(←今すぐ人に話したくなる、美しい善の心)
・でも、そこを立ち去れないのは、子どものひとりが片手に木の棒を持っているからで、いやただ戯れに持っているのだとは思うのだが、もしかするとその棒で亀をつつきだす可能性があるかも知れず、その可能性が捨てきれない今はとにかく現状を見守ろうと決意(←『イヤー・オブ・美しい善の心』、受賞)
・じっと様子を眺めていると、その視線に子どもたちが気がつく
・怯えた表情で僕を一瞥すると、サッと亀を抱きかかえ、遠くへと逃げていく子どもたち
・取り残される、僕
亀を助けたかった。ただそれだけの正義感だったのに。
僕は今日、近所の子どもたちから「ヤバいおじさん」視された。
何度も言う。僕は亀を助けたかっただけだ。
超釈然としなかった。
玉手箱をあけたわけでもないのに、老け込んでいる自分が、そこにいた。
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