AI、CD、ビートルズ。近田春夫の予言と音楽の未来(「2024年を振り返る」後編)【近田春夫×適菜収】
【隔週連載】だから何度も言ったのに 第78回
◾️ AIは秀才だが、天才ではない
近田:AIは秀才ですよね。どこまで行っても天才ではない。スティーヴ・ジョブズがiPhoneを思いついたようなひらめきは、AIからは生まれ得ないと思う。
適菜:AIは、論理でしか先に進むことができませんからね。一方、人類史上に残る発明とか発見といわれるものは、誰かがふっと予感したり予知したりした後、それが証明されるまで長い時間がかかる。コペルニクスの地動説がいい例です。まだ言葉にできないもの、具現化できないイメージを、暗黙のうちに予感してしまう。これが本当の天才だと思うんですよね。
近田:その点は人類にアドバンテージがあるよね。ただ、AIは指数関数的に長足の進化を続けているから、どのレベルまでたどり着くかに関しては興味があるね。例えば、音楽や映像に関して、人間の作ったものとAIの作ったものと、完全に見分けがつかなくなるのはいつなのかとか。今はまだ、ギリギリ判別がつく……いや、つかないかも。危ないな(笑)。
適菜:ところで、近田さんが音楽に関して、最近、思考をめぐらせていることは何ですか?
近田:音楽において、現在、一般的に普遍と思われていることが、歴史的に考えると実は特殊だったというケースがあると思う。例えば、ビートルズの登場まで、音楽って、娯楽以上でも以下でもなかった。音楽と社会との関係性が、ビートルズから急に変わったんですよ。ごくごく一般のリスナーまでが、音楽に何かしらの意味を見出すようになった。
適菜:言われてみれば、ビートルズの受容のされ方には、単なる娯楽を超えた何かがある。それ以前、例えばエルヴィス・プレスリーの頃までは、そういう傾向はなかったということですか。
近田:うん。小難しいイメージのあるジャズにしたって、そんなものだったよ。音楽について考えたりすることが面白いという認識を市井に普及させたのは、やっぱりビートルズ。
適菜:ビートルズを論じた文章って、本当にたくさんありますよね。
近田:でもさ、実は、音楽評論がそれなりのプレゼンスを保持していた時期っていうのは、ビートルズの登場からついこの間までの60年ぐらいだったと思うのよ。現状は、それが旧に復しただけなんじゃないかな。今、音楽評論の重要性って、かつてに比べれば相当低いものになってるじゃない?
適菜:音楽雑誌も売れなくなっていますし。
近田:ビートルズ以降、しばらくの間は、時代的にも、公民権運動とかベトナム戦争といった社会問題と共鳴して、音楽というものが、より意味のあるものにとらえられた。僕らなんかはさ、それでロックにコロリと騙されて、自分もロックミュージシャンになっちゃったのかもしれない。
適菜:騙されちゃったんですか?
近田:今、考えてみれば、あれは宗教みたいなもので、その熱に浮かされる形で僕はロックを信じていたんだと思う。僕に限らず、リスナーもそうだと思うんだけど、その信仰心が半生記以上経って少しずつ冷めて、平熱に戻っていった。70年代までは、ロックミュージシャンが何か考えを述べると、それに反応してくれる人がいたじゃない。ところが、先日の米国大統領選でテイラー・スウィフトがハリス支持を打ち出しても、結局、大勢に影響は及ぼさなかったわけでしょ。
適菜:接戦になるだろうという予想を覆して、トランプは圧勝してしまった。