軍神と呼ばれながら、実は酒好きでグルメだった上杉謙信
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第3回
■今回鑑定する人物は…
上杉 謙信(1530-1578)
生年月日:享禄3年1月21日(和暦)
西暦1530年2月28日(グレゴリオ暦)
それでは、上の命式表を見ながら鑑定していく。
■冬の海の様にゆったりとした器の広い人物
・日柱の干支:「壬子」(みずのえね)
これは「冬」の「海」を表す。冬の海のように、ゆったりとした器の広い人物であり、春に向かってパワーを蓄積し計り知れないエネルギーを持っていることが読み取れる。同様に「壬子」を日柱に持つ芸能人として、元サッカー選手のラモス瑠偉、女優の井川遥がいる。また、「壬(みずのえ)」=「+水」であるが、水はどんなものにも形を変えることができるため、「壬」の人は高い柔軟性を持つ。
次に、通変星(つうへんせい)・蔵干通変星(ぞうかんつうへんせい)・十二運星(じゅうにうんせい)を用いて性格を見ていく。
・主星「食神(しょくじん)」:おおらかで明るい、遊び好きの星。そして、食を大切にするグルメの星である。謙信の好物といえば、日本酒。戦場でも馬上杯という酒器を使って飲んでいた程の酒豪である。現在も新潟と言えば、米どころ、酒どころ。越後のおいしい日本酒が謙信にとって至福の時であったのだろう。また、十二運星に「病」を併せ持っている。「食神」+「病」の組み合わせ何かの分野でカリスマになれる星。命式表の中に、この組み合わせを二つ持っている。「戦のカリスマ」「軍神」とも称される、謙信。その戦のテクニックは天性のものだろうか。
・自星「劫財(ごうざい)」+「帝旺(ていおう)」
この、劫財+帝旺の組み合わせ、これぞ組織の王様である。この組み合わせを命式表に持っているのは、安倍総理、明石家さんま、錦織圭、桑田佳祐、内村航平等、各界の成功者ばかり。謙信は、兄・晴景と争い、19歳で長尾家の家督を譲り受けて春日山城主となり、32歳には上杉憲政から家を譲られ関東管領職に就いている。謙信は生まれながらにして統率力を備えていたともいえ、戦国時代にあって周りもその才能を買っていたのだろう。
・偏官(へんかん):攻撃力、行動力が非常に強く、何かを思い立ったらすぐに行動するタイプ。その攻撃本能が戦の場で生かされていたのであろう。また、謙信は突然毘沙門堂に籠ったり高野山に行ったりして家臣を困らせたという記録も残っており、思いついたらすぐに実行に移したいという逸る気持ちがあったのかもしれない。
・偏印(へんいん):ヒラメキ、アイディア、企画力の星。第四次川中島の合戦で、謙信は、陣を円形に配置し車輪の如く回転しながら攻撃を仕掛ける「車懸り(くるまかがり)の陣」を用いたといわれているが、そこには天性のヒラメキがあったのかもしれない。
今回の鑑定結果について、上杉子爵家第9代目ご当主、上杉孝久氏に見解を伺った。「確かにカリスマ、第六感に優れている人物だったと思う。幼少期に林泉寺に預けられていた折、戦に関する書物を読み漁り、城攻めのゲームもやっていたそうだから、戦の基礎知識は持ち合わせていたのだろう。しかし、戦で勝利を手にして来たのは、まさに直観、ヒラメキの賜物。第四次川中島の戦いの際、武田軍の奇襲を見破り、すでに全軍で妻女山(さいじょさん)を降りていたというのは、その一例である。」というコメントを頂いた。
自らを毘沙門天の化身と称し、生涯妻を持たなかった謙信。謎が多く、実は女性だったのでは?という説もまことしやかに囁かれている。それもこれも、凡人には理解できない、カリスマだったからこその発想だったのだろうか。「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」これは、謙信が残した詩で辞世とも言われる。こんな壮絶、こだわりだらけの人生も「一盃の酒」に例える謙信にさらなるカリスマ性を感じる。
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。
ここでは、「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いてグレゴリオ暦に換算し鑑定している。
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分
主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。
自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。